丸山茂雄(5) 大検 担任と大げんか 自力合格 医学部には届かず浪人に

志願して小石川高校ラグビー部に入ったものの、私は最悪と言っていいほど下手だった。うまく走ることさえできない。ほかの連中にはどうということのない練習が私にはめちゃくちゃハード。くたくたになって家に帰り、夕飯のあと8時半か9時には寝た。

 

あるとき練習中に脳振盪(しんとう)を起こし、具合が悪くなった。コンピューター断層撮影装置(CT)とか磁気共鳴画像装置(MRI)とかで検査できるわけでもなく、静かに寝ているしかない。2~3週間寝込んだ。父が漢方のような薬を見つけてきて、それを飲んだら治ったと記憶する。

相変わらず文学や映画、音楽を堪能する活動も忙しい。当然、勉強はおろそかになる。予習せずに授業にのぞみ、指名されたら「わかりません」と平気で答えていた。あきれた先生はやがて私を指さなくなった。

だから担任教師とは常にもめていた。「ラグビーをやめて勉強に専念しろ」と担任。「ラグビーの優先順位は高い」と私。2年生の終わりまではラグビーに打ち込む、とやかく言うな。私は宣言した。

担任はよく親を学校に呼びつけた。来るのはいつも母だった。「お宅の息子はだめだ」などと繰り返し言われても、母はへっちゃら。どこか面白がっていた節さえある。しかも母は私の成績については一切、父に言わなかった。もし実直な父が学校での私の様子を知ったら何らかの圧力を私にかけたに違いない。

いよいよ3年生になった。やればできるタイプと信じていたが、いざ勉強してみると集中できない。おやオレは思ったより出来が悪いのかな。小学生、中学生のころはパシャっと写真を撮るように頭のなかに教科書の中身が鮮明に記憶された。なのにいまはパシャっといかない。ホルモンの働きが強まると画質が落ちるんだな、おそらく。

結局、成績は下がったまんま。大げんかになった担任はこう言い出した。「内申書を書いてやらない」

こんな教師に引き下がるものか。内申書があろうとなかろうと、自力で次に進んでやる。私は大学入学資格検定(大検)を受けることにした。

なかなか勇ましい決意なのだが、ふと思った。曲がりなりにも1、2年生の勉強は終えている。ひょっとしたら、その分の試験を免除してもらえないか。3年生の範囲に絞った試験ならずいぶん楽だ。

私は霞が関に出かけ、文部省(現文部科学省)に聞いてみた。あまりにもとっぴな申し出に困惑したのだろうか。応対してくれた人は、都立高生なら東京都に相談してみてはと言った。それならばと私は当時、丸の内にあった都庁を訪ねた。

そんな免除はできないというのが答えだった。やっぱり……。大検のテストは日程が学校の修学旅行と重なり、私は旅行をあきらめ受験した。

合格通知を受けとったときのうれしさは格別だった。これであの担任に頭を下げる理由がなくなる。一気に形勢逆転だ。

しかし受験した大学の医学部には受からなかった。浪人生活が始まるが、私は本を読んだり映画を見たり。勉強しなきゃとの気持ちはある。医者になろうと思っているんだから。

でも、いざ机に向かうと集中できない。まったく成績が上向かない。どうやら私は勉強に向いていない。

(ソニー・ミュージックエンタテインメント元社長)