アスター、「塗る耐震」で世界へ 東大と補強塗料を開発

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日本発の技術で世界の建物を地震から守る。耐震材料開発のスタートアップ、Aster(アスター、東京・中央)がそんな挑戦に取り組んでいる。コア技術は20年前に静岡県の中小企業が開発したコンクリートの補強材だ。東京大学の研究室と改良を重ね、建屋の壁に塗るだけで耐震性を高める塗料を独自開発した。世界では地震の揺れに弱い建屋が多い。日本の中小企業の技術を世界に羽ばたかせようとしている。

 

「フィリピン政府からこんなに簡単に耐震対策ができるのかと驚かれた」。アスターの鈴木正臣最高経営責任者(CEO)は語る。2021年10月から、フィリピン政府と国際協力機構(JICA)がアスターの耐震塗料を使った調査や実験をした。その結果に驚きの声が上がった。

アスターは建物の壁にペンキのように塗るだけで耐震性を高められる材料開発を手掛ける。水性の弾性塗料と「引っ張り強度」のあるガラス繊維を混合することで、引っ張り強度の高い塗料にした。

震度7でも崩れず

この塗料をレンガや石を積み上げた壁に塗ればレンガ同士が強くくっつき、地震が起きてもレンガが崩れにくくなる。アスターが自社で行った実験では、震度7の揺れでも壁が崩れなかった。

日本では木や鉄筋の柱やはりで建物を造るのが主流だ。だが、世界全体でみると人口の6割がレンガや石を積み上げる「組積造」の建物に住んでいるとされている。組積造は安価だが、震度5強で崩壊することもあるなど耐震性が低い。

アスターは19年に設立した企業だ。だが塗料の開発はすぐにできたわけではない。その原点は20年以上前に遡る。

鈴木氏の実家は建物改修会社のエスジー(静岡県沼津市)を経営している。米大学で航空宇宙工学を専攻していた鈴木氏は1999年、父親が体調を崩したために帰国し、エスジーに入社した。間もなく、知人を通じてコンクリートのコーティング材を開発してほしいとの依頼を受けた。

当時はコンクリートの劣化が社会問題となっており、鈴木氏はコンクリートの崩落を防ぐ材料として仕上げた。このコーティング材が、アスターの耐震塗料の原点となっている。

転機が来たのは今から10年ほど前だ。東京大学で都市震災軽減工学を専門とする目黒公郎教授が主宰する研究会に参加した。大学と建設会社などの企業が連携し、防災技術を事業化するための研究を重ねる組織だ。鈴木氏は防災関連ビジネスを本格的に手掛けたいと思うようになった。

目黒研究室は組積造の補強工法を研究していた。目黒教授はエスジーの開発した繊維強化塗料が組積造の崩落を防ぐ一つの手段になると考え、研究室が鈴木氏の事業化を支援するようになった。

博士課程に在籍していた山本憲二郎氏(現東大特任助教)が塗料の調合や塗り方など組積造向けに塗料を改良、シャンタヌ・メノン氏(現アスター最高執行責任者=COO)が塗料を建物に塗って地震が起きた際の構造を解析した。

研究が着々と進むなか、16年にはイタリアで大地震が起きた。鈴木氏は現地調査に向かい、組積造の家に暮らしていた幼い命が奪われる悲惨な光景を目の当たりした。「フルコミットで防災ビジネスに取り組みたいと、起業への思いが高まった」(鈴木氏)

家業離れ起業

18年には米シリコンバレーの大学で現地のベンチャーキャピタル(VC)にプレゼンし、交流する機会を得た。起業による成長のスピード感は中小企業より速いと考え、エスジーを退き、山本氏とメノン氏とアスターを創業した。

創業前から新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)のプログラムなどで東南アジアや南欧を訪れ、政府関係者や民間企業にヒアリングを重ねた。フィリピン公共事業道路省が学校校舎で施工不良の建物の改善に取り組みたいニーズを把握した。JICAの支援の下、日本国内で同省と共同実験を始めた。

22年8月にはフィリピンで実証実験を始める予定だ。その後、フィリピン政府から認定を受けて、公共案件から耐震塗料の提供を構想する。

日本は耐震対策を施した建屋が大半だが、海外では地震が多い国でも対策が十分施されておらず、甚大な被害が発生している。塗るだけで耐震対策ができる手軽さから「耐震塗料は海外でのニーズが高い」と鈴木氏はみている。

日本では塀や橋で市場開拓

壁に塗るだけで建物の耐震性を高められる塗料を開発したアスターは、はじめから海外に視座を置くスタートアップといえる。だが海外で本格展開するにはハードルも多い。「まずは日本で実績を積み上げていきたい」と、鈴木正臣最高経営責任者(CEO)は語る。

日本は耐震対策を施した建物ばかりだ。ビジネスとして期待できるのは気候の影響を受けやすい家の塀や、橋などの公共インフラで塗料が使われることだ。

沖縄県糸満市。台風が多く上陸し、塩害の影響も深刻なこの地で、アスターの塗料が使われる。現地はコンクリートで築いたブロック塀のある家が目立つ。だが塩害や台風により崩れかけているケースがある。倒壊を防ぐため、塗料販売のアクタス産業(沖縄県糸満市)はアスターの塗料に目をつけた。アスターの塗料を使えばブロック塀を作り替えずに済むのでコストを抑えられる。

また、沖縄では建物の鉄筋がさびることで膨張し、コンクリートに亀裂が入り剝がれ落ちる現象が起きている。塩分はさびるスピードを速めるため、塩分をたくさん含む風が吹く沖縄では建造物が崩落して、事故につながる危険性が高い。地震対策ではなく、ひび割れを防ぐためにもアスターの塗料は使える可能性がある。

アクタス産業の砂川豊蔵代表は「一般住宅で効果が示せれば橋などの公共工事にも活用が広がる」とみる。日本の道路橋は寿命年数を超える橋が多いなど、インフラの老朽化が深刻だ。だが財政難などで十分な対策が施されていない。早急の対策としてアスターの塗料を活用できるのではと期待している。

新型コロナウイルスに収束の気配が見えないこともあり、アスターの海外展開には時間がかかる可能性がある。フィリピンの実験を巡っても、耐震強度のほかに塗料を塗った後に雨で溶けたり、太陽の紫外線で剝げ落ちたりするリスクの観察が必要になる。アスターは事業展開にスピード感を出すため、公共事業での採用と同時に民間への販路開拓も進める考えだ。

鈴木CEOは「安い値段で幅広く使ってもらうのが大事だ」と語る。一般向けや富裕層向けなど、市場のニーズに応じて製品を改良し、適切なマーケティング戦略を講じることが必要だと話す。

海外営業網や量産体制の構築課題

「日本の技術で地震被害者をゼロにしたい」(鈴木CEO)として起業したアスターだが、その実現の道のりは遠い。製品力や営業力を地道に高めていくことが不可欠で、必要に応じて柔軟に資金調達していくことが必要だ。鈴木CEOは「1~2年で急成長するビジネスではないので、それを理解して出資してくれるベンチャーキャピタル(VC)などを探していきたい」と話す。

21年まで日本のスタートアップの調達額は増え続けてきた。資金調達したスタートアップは、経理管理や営業ツールを提供するSaaS企業が多かった。短期で急成長が見込めるネット企業だ。

だが世界をみると短期の金銭的リターンだけで投資を判断するのではなく、社会的な影響が大きい事業を評価する「ソーシャルインパクト投資」を、スタートアップ投資でも意識されるようになった。SDGs(持続可能な開発目標)が世界で重視されるなか、スタートアップも今まで以上に社会課題解決に貢献できる企業が評価される流れができつつある。

22年に入り、コロナ禍に加えてロシアのウクライナ侵攻など、世界経済が変調をきたし、スタートアップの投資環境は潮目が変わりつつある。社会課題解決に向けて着実に実績を出すスタートアップに選別投資する流れが加速するとみられる。

地震被害者をなくすというアスターが提起する社会課題は、世界では大きなテーマである。あとは着実に実績を積み上げていけば、資金調達で有利に働く可能性は高い。

アスターの海外事業は緒に就いたばかりだ。海外を本格的に展開するには、各地で営業体制を整え、安定的に塗料を供給する量産体制を構築することが必要だ。投資に必要な資金を得るためにも、塗料の耐震性についてのエビデンスを丁寧に示して実績を積み上げていくことが今後欠かせない。

(細田琢朗)