三井物産会長 安永竜夫(5) マスターズの「奇跡のゴルフボール」

その時、地鳴りのような歓声が僕を包んだ。2022年4月、米男子ゴルフ、マスターズ・トーナメントの最終日。最終18番のバンカーからロリー・マキロイ選手がチップインバーディーを決めた。目の前で見ていた僕にも信じられない角度でボールがぐっと曲がり、カップに吸い込まれた。

 

マキロイ選手は拾い上げたボールを僕がいる観客席へ投げ入れた。僕の頭上を越えていったが、後ろにいた観客たちがうまくキャッチできず、コロコロと転がってきた。隣にいた関係者が拾い上げ、僕に手渡した。「あなたはゲストですから」

その直後、コリン・モリカワ選手もバンカーからのチップインバーディーを決めた。興奮の渦の中でも冷静に仕事をやり遂げた。2人のショットは運が良かったのではなく、絶え間ない努力が生んだものだ。

前回優勝の松山英樹選手をパトロンがスタンディングオベーションで迎えた場面も印象的だった。昨年はキャディーがコースに一礼をして立ち去った所作が称賛された。パトロンはキャディーにも敬意を示したのだろう。

世界で戦ううえで日本人の強みは勤勉さと律義さ、私欲を捨てチームに貢献する心だ。真摯な姿勢は世界中の誰にも負けない。国際的な枠組みの中で役割をしっかり発揮すれば、最高のチームになれる。近年の日本はその強みを発揮できていないのが残念だ。

翌日以降、米国の取引先回りで「これがあの時のチップインバーディーのボールだ」と披露した。自慢したいわけではない。「このフォーチュン(幸運)をシェアしよう」と一緒に触った。

商社マン人生を振り返ると、いい上司や案件に恵まれて幸運だった。でも、ただ幸運を待っていたのではない。それをつかめる状況に自分や組織を持っていくための努力や決断をしてきた。

「早く逃げだしたい」と思うようなつらい交渉もあった。「こんな条件はのめるか」と席を蹴り翻意を求めたことも数知れない。それでもやるべき事を徹底したからこそ「幸運だったな」と思える今があるのだ。

 

 

来週は演出家の小池修一郎氏です。