社長になって少し落ち着いてみると、新入社員にメッセージを出したり、定期的な幹部会で話をしたりするときなどに、何か足りないと感じ始めた。大きくて深い、会社を引っ張っていく上での理念のようなものである。社長になると、みなさんそう思われるのではないだろうか。

住友林業の始まりは住友グループの源流である四国の別子銅山の林業方だ。そこで住友の事業精神に目を向けたところ、相当に立派なことを言っているのだった。今までこんなことをきちんと意識しないで仕事をしてきたのかと、僕は恥ずかしく思った。
住友の家祖、住友政友や、その後、明治時代に総理事を務めた広瀬宰平、伊庭貞剛らの先達が作り上げ、長く受け継がれてきた事業精神は、平たく言うと、事業は自分の利益のためだけではなく天下国家、国民のためになるものでなければいけない、そして、一見、相反するように思える「公」と「私」は、実は一つのものなのだという教えだ。すなわち「自利利他公私一如(いちにょ)」の精神である。
僕は、この住友の事業精神を、住友林業の社員が理解し易いように工夫し、経営理念と行動指針を自分で書いた。社員手帳に明記して、社内で主管者会議と呼んでいる、年に2回の幹部会の場などで浸透させた。当時はいきなり指名して覚えているか聞くと、あわてて手帳を開いて読んでいたものだ。最初だからそれでもかまわなかった。
こんな経営理念といったものは、往々にして美辞麗句の仏作って魂入れずで終わってしまいがちだが、僕は自分から率先して経営判断のよりどころにした。
あるとき、アジアから原木を安く仕入れて製材し、北米で高く売って利ざやを取るという事業の提案があがってきたことがあった。僕はこれを即座に却下した。
そんな事業の行き着くところは、できるだけ買いたたいてできるだけ高く売るという程度であり、社会の役に立つのかを第一に問う事業精神と合致しない。利益は社会のお役に立った証しなのであり、ただもうかればよいという事業は住友林業の経営資源を費やすに値しないのだ。
住友林業の経営理念や事業に対する姿勢を、国内だけでなく海外の取引先にも理解してもらう必要があるので、僕はいっとき、海外の駐在員の候補者には自分で直接、面談をして、英語を使って自分の言葉で、住友の事業精神を海外の人に説明できるかを確かめた上で送り出した。
会社の理念に関連して言うと、社長になってすぐやったことがある。
株主総会のあと、午後に開く新体制での最初の取締役会で、毎年「私利私欲、私情私心を捨てて、無私で経営にあたって下さい」と、全員にお願いしたことだ。
経営陣の使命は会社のために力を尽くすことだが、往々にして邪念が混じる。会社が未成熟だった過去にそんな人を幾人か見てきたし、何よりも、社長になった自分への戒めとしてそんなことを言ったのだ。
僕はこの一種の儀式を、社長になった1999年から、会長を退いた2020年まで、21年間続けた。登用に当たっても、無私の高邁(こうまい)な姿勢で経営にあたってくれる人を選んだつもりだ。だから今の役員は全員、その点を完璧に理解できる人ばかりだ。僕は社長、会長時代に何をやったわけでもないが、このことだけは、僕はやったと胸を張れる。
(住友林業最高顧問)

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