1999年に59歳で社長になると僕は温めていた考えを実行に移した。思い出すままに挙げると、まずそれまであった役員の口利きなどによる縁故採用をやめ、人事部長に全権を握らせた。また、学校名にとらわれず、優秀で情熱とチャレンジ精神のある人材を、全国の大学から幅広く募る方針を徹底した。
企業はどんな人がいて、どんな考えで仕事をしているかで基礎体力が決まる。総務部などの意識改革にも手を付けた。本社部門はともすれば管理する発想になりがちだが、会社の主役は営業などの現場なのだ。本社は現場のサポート役であるという基本的な姿勢を打ち出し、浸透させた。
それから、いくつものはんこを経ないと情報が上にあがってこない会社はダメだ。そんなところも改革し、フラットでスピード感ある組織に変えようと手を打った。
その一つが「2時間ルール」というものだ。経営に重大な影響を与える事態は、把握してから昼夜を問わず、2時間以内に社長まであげよという仕組みである。
まずいことが起きるとその場であれこれ考えてしまうものだが、そんなうちにも状況は悪くなる。マイナス情報がすぐに上がってこないと、会社が取り返しのつかない間違いを犯しかねない。
僕は昔から「すぐやる、すぐ済む」をモットーにしている。やるべきこと、面倒なことはすぐやってすぐに済まして、もっと大事な、住友林業をいい会社にするためのクリエーティブなことに時間や頭を使ったほうがいいのだ。
2002年度に、年金債務の一括償却をして、住友林業としては初めて最終損益が赤字になったのも、明確に意識したわけではなかったが、「すぐやる、すぐ済む」の考えに沿ったものだった。
10年償却も認められていたものの、赤字を引きずっていると後の不測の事態に対処できない。同時に不良資産の減損などもして合計で387億円の特別損失を計上し、バランスシートをきれいにした。責任を明確にする意味で、全員の役員賞与をゼロにした。
振り返ってみると、常務や専務だった時代と社長になった時とに、自分の意識としてはっきりした区切りがあるようにも思われない。
ただ、日本のバブル崩壊による景気低迷で守りに徹しざるをえなかった前の社長の山口博人さんから僕がバトンを渡された1990年代の終わりは、経済が上向く頃合いにあたっていた。会社が新しいスタートを切るにあたって、やるべき事がたまっていた時期だったように思う。
それだから、社長になって最初の2、3年はあっという間に過ぎた。
そんななかで常務や専務時代に闘争心から時に強い物言いをすることもあった僕も、社長になって多少人間が丸くなったような所があった。
社長になると、役員ら幹部にもっとこうして欲しいと思う場面も増えたのだが、こちらが不信の目で見ているとそれはおのずと伝わって、生かせるはずの能力も引き出されない。
欠点もあるけれどこんないいところもある、この人がいまひとつ仕事に精彩を欠くのは、社長の僕に問題があるのだ――。これは僕の本性とはやや違っているので、意識的に、一生懸命努力してそう考えた。それからいくらか身について、本性のようになった。少しでも時間があくと、住宅展示場に行って、現場に接することも続けた。

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