https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD278G10X20C22A5000000
暗号資産にも使われるブロックチェーン(分散型台帳)技術を駆使し、実験データなどをデジタル資産化して資金を得るほか、研究者が安価にアクセスできる情報の共有などに取り組む。慢性的な資金不足や商業学術出版社に権限が集中する現状を打破できるのだろうか。
米カリフォルニア大学バークレー校がNFT(非代替性トークン)プロジェクトを推進している。ノーベル賞学者の実験ノートやメモなどをNFTにして販売し、研究や教育に使う資金に充てる試みだ。2018年のノーベル生理学・医学賞を受賞したジェームズ・アリソン氏のメモをNFTにして21年夏に売り出したところ、落札価格は約5万4000ドル(約700万円)に達した。
このメモはアリソン氏が特許取得の必要性などを大学に訴える内容で、コレクターにとって価値がある。この発見をきっかけに「オプジーボ」などがん免疫薬の研究が進み、がん治療を大きく変えた。同校のマイク・コーエン・イノベーションエコシステム開発ディレクターは「Web3によって歴史的な発見を収益化する手段を得た」と話す。
Web3の新たな潮流として注目されているのが「DeSci(ディサイ、分散型科学)」だ。科学者やIT技術者がブロックチェーン上に「DAO(分散型自律組織)」をつくり、研究助成機関や学術出版社としての役目を担う。「トークン」と呼ぶ暗号資産を発行して投資家から資金を募り、有望なテーマを提示した研究者に資金を提供する。
「DeSciは科学者による脱中央集権化の試み」。人工知能(AI)開発スタートアップのアラヤ(東京・港)のリサーチャーで、海外のDeSciプロジェクトに参加する浜田太陽氏はこう説明する。現在のインターネットは米国の巨大テック企業が支配する構造だ。Web3はブロックチェーン技術によって寡占状態から脱却し、利用者の手にネットを取り戻そうとしている。DeSciもこの流れにある。
科学研究は国による公募型の助成が主体だが、方向性が定まらない初期段階の研究は慢性的な資金不足だ。例えば、米国立衛生研究所(NIH)の公募助成の採択率は00年代前半は20%を超えていたが、競争が激しくなった現在は10%台前半に低下した。生命科学はまだ恵まれている方で、他分野はもっと低いとされる。応用が見えない初期研究に資金提供する企業はわずかだ。
研究情報の開示でも「科学の成果や知見は公共財」という理想とは違う状況にある。大手出版社による科学論文誌の寡占が進み、購読料の引き上げが相次いだ。影響力の高い論文誌に成果を掲載する場合、誰でも読めるようにするには、執筆者が掲載料を別途支払う必要がある。
DeSciプロジェクトでは、どのテーマに助成するのかDAOに参加するメンバーの投票で決める。メンバーに研究内容をわかりやすく説明する会を設け、判断できるよう配慮している。助成した研究から得られた成果やデータ、特許はDAOが管理し、企業などに販売して資金を得る。利益は貢献度に応じて投資家やメンバー、研究者に配分する仕組みだ。運営や管理はすべてブロックチェーン上で実行される。
米国の有力ベンチャーキャピタルのアンドリーセン・ホロウィッツが2月、DeSciを取り上げたことで、投資家からも注目を集めるようになった。現在までに、バイオテクノロジーを中心に40を超すDeSciプロジェクトが設立された
最も活発に活動しているのが老化や長寿に関する基礎研究の活性化を目指す「VitaDAO(ビータ・ダオ)」だ。正式な発足から1年足らずで5000人以上が参加し、600万ドル(約8億円)を超す資金を集めた。30以上のプロジェクトに計250万ドル(約3億円)以上を助成している。「科学者たちが自律的に活動できるようにしたい。Web3は可能性を秘めている」と、VitaDAOの中心メンバーで神経科学者のサラ・ハンバーグ氏は強調する。
デンマークのコペンハーゲン大学のモルテン・シャイベクヌーセン准教授はVitaDAOから25万ドルの助成を得た。デンマークの国民健康保険のデータベースから処方箋記録10億4000万件を分析し、健康寿命を伸ばす可能性のある医薬品を10種類ほど見つけた。1~2年かけてハエや人の細胞、マウスを使ってさらに絞り込み、臨床試験で健康な人への影響や効果などを調べる計画だ。
研究者支援のクラウドファンディングを運営するアカデミスト(東京・新宿)の柴藤亮介最高経営責任者(CEO)は「研究開発を持続させるエコシステムの確立を目指すことに意味がある」と指摘する。同社は日本でDeSciとして活動できることがないか調査中だ。日本でもDeSciを始めようという動きは出ている。
世界に比べると、日本の研究者の関心は低い。アラヤの浜田リサーチャーによると、研究者に説明しても「積極的に参加しようとする研究者は少ない」という。VitaDAOには日本からも応募でき、浜田リサーチャーは「イベントやネットでの解説記事を通じて理解を得たい」と話す。東京大学の大学院生の伊山京助氏は5月、日本でのDeSciの普及を目指すネット上の組織「ディサイ・ジャパン(DeSci Japan)」を共同で立ち上げた。学会と協力してDeSciの普及・啓発に取り組む計画だ。
DeSciを機能させるには、大きな課題がある。DAOに投資する人が増えなければ、資金が回らなくなる。そのためには助成した研究が利益を生んでトークンの価値を上げなければならない。実際、DeSciプロジェクトで活動が盛んなのは、生命科学や核融合、フードテックなど経済的利益につながる分野が多い。短期的に利益を生まない基礎科学でも活用できるかは未知数だ。
Web3はまだ黎明(れいめい)期でどこまで科学の推進に役立つのかは不明だ。だが、可能性を秘めていることは間違いない。DeSciの推移を見守るくらいの姿勢は、科学者にも求められるだろう。

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