https://www.nikkei.com/article/DGKKZO61802930X10C22A6MY1000/
最新の研究では、がんの移動を手助けする黒幕の存在や、居心地のよい新天地を何年も前から準備する戦略がわかってきた。
腎臓がんは肺に移りやすい。遠い距離を移動できるのは「免疫を担う好中球を味方に巻き込んでいるからだ」と和歌山県立医科大学の江幡正悟教授は話す。
腎臓がんの細胞は炎症物質を放ち、白血球の一種の好中球を呼び寄せる。好中球は新たな血管をつくる働きがある。腎臓がんの細胞は開通した血管の道路を通り抜け、腎臓から肺に移る。好中球は、がんが肺にとどまる手助けもする。転移を手引きする黒幕の一端が東京大学との研究でわかった。
試しに薬剤で好中球を半減させると、がんが転移しにくくなった。好中球をがんに呼び込むたんぱく質を作らせない別の薬を投与しても転移が減った。
がんで多くの患者の命を奪うのは転移だ。国立がん研究センターなどが2021年に発表したデータによると、11~13年に胃がんと診断された人でリンパ節や他の臓器への転移が無い「ステージ1」の人の5年後の生存率は、98.7%だった。肺がんで85.6%、女性の乳がんでは100%だ。隣や遠くの臓器や組織に転移した「ステージ4」の生存率は、胃がんが6.2%、肺がんが7.3%、女性の乳がんが38.8%と低かった。
不思議なのは、がんは人体を見下ろせるわけではないのに、どうやって新天地を見つけているのかだ。
肺がんや乳がん、大腸がんが脳に飛び火する謎に迫る北海道大学の西村紳一郎教授は、がんの周到な振る舞いに気づいた。
がん細胞は直径30~50ナノ(ナノは10億分の1)メートルの「エクソソーム」という微粒子を放出する。この微粒子は「糖鎖」という分子が表面に50~60種類もつく。
肺がんや肝臓がん、乳がんの細胞がそれぞれ持つ糖鎖を、人工の微粒子に付けてマウスの血管に流すと行き先が分かれた。到達場所は、それぞれのがんが転移しやすい臓器と一致した。「小さな糖鎖が、がんの転移先を決めるのだろう」と西村教授はいう。エクソソームが先遣隊を担う可能性は知られていたが「ナビゲーションシステム」となる糖鎖を突き止めた。
エクソソームは血液などに乗って転移先に流れ着くと免疫細胞の働きを阻み、がんが増えやすい環境を整える。「この現象は元の臓器でがんができてすぐに始まるのだろう」と西村教授は話す。病院の検査で転移が見つかる何年も前の話だ。その後、がん細胞を呼び寄せる。がん組織から一部のがん細胞が免疫細胞に乗り、新天地に向かうとみられる。
がん細胞の足取りを追いたくても、体内には多くの細胞がある。普通の細胞に紛れ込んだがん細胞を見つけ出すのは至難の業だ。そのままでは手術や抗がん剤で治療した後にも再発のリスクが残る。世界が目指すのはワクチンの開発だ。
がん細胞は羊の皮をかぶって羊の群れに潜んだオオカミだ。ワクチンは、羊の皮からわずかに見えるオオカミの尻尾の存在を周囲に知らせ、免疫細胞が攻撃するように仕向ける。
新型コロナウイルス向けワクチンの実用化に貢献したドイツのビオンテックはワクチン技術でがんの治療も狙う。21年10月に約200人の大腸がん患者へ、ワクチンを投与する第2段階の臨床試験を始めたと発表した。手術や抗がん剤で治療した後もどこでがんが生まれるかわからない高リスクの患者が対象だ。
勢力拡大をもくろむがんは、転移の前にも入念に準備を進める。
膵臓(すいぞう)がんはコラーゲンが豊富な「間質」という組織が覆い、がんは外へ出にくいはずだ。
大阪大学の菊池章特任教授らは、予後が悪いタイプの膵臓がんで「Arl4c」という分子が、がん細胞から伸びた突起の先端に集まっているのを見つけた。分子の作用でがんはコラーゲンを分解し、間質へ入り込む。
この分子は膵臓がん患者の9割以上で見つかる遺伝子の変異がきっかけでできる。「多くの患者で、こうして転移が起きるのかもしれない」と菊池特任教授は話す。
現代科学の粋を尽くし、がんとの知恵比べが続く。フランスのトランスジーンとNECは、20年に卵巣と頭頸部のがん患者で第1段階の臨床試験を始めた。21年11月には、6人に投与し、がんに対する免疫力が高まったと発表した。


コメントをお書きください