シアトルで住友林業が起こされた訴訟に対し支援の姿勢を見せない東京本社の海外部に僕は怒り狂って電話をした。
課長と話すと、方針を決めているのは自分ではないというようなことをもごもご言うので、じゃあ誰だと聞くと常務だと言う。それで、日本の夜にあたる時間に常務の家に何回も電話をした。すると出てこないのである。
僕は腹をくくり、自分で訴訟費用を負担してでも争うと決めた。弁護士にいくらかかるのか聞くと1億円という。日本にいる母に電話し、親戚中からかき集めて1億円用意してくれと頼んだ。「ふうん、それくらいならなんとかなるんじゃないの」と動じない母が心強かった。
朝の9時から夕方の5時まで法廷に立つ生活が1カ月ほど続いた。弁護士だけに頼っているわけにはいかないと、5時に法廷が閉まると、隣にある裁判所の図書館に行って、毎日、過去の判例集を読み込んだ。単語は専門的だが凝った文章ではなく、必死だったからなんとか理解できたのだ。30冊くらい、関係あるものを片っ端から読んだ。
図書館が閉まる9時まで判例集を読んで、家に帰ってシャワーを浴びると、びっくりするほどごっそりと髪の毛が抜けた。僕が40歳代の早くからはげてしまったのはこのときのストレスが原因だ。
裁判のポイントは、まず陪審員が住友林業に問題ありとみるかどうか、そして、それをもとに判事がどの法律を適用するかにあった。
20万ドルの契約だから、商法が適用されるなら会社の賠償もその範囲で収まるのだが、民法を適用されて「エモーショナル・ディストレス(精神的苦痛)」に対する賠償となってしまうと、この手の訴訟は米国でよくあるが、数百万ドルにもなる可能性があった。
先方は訴訟の間、弁護士が7人も交代した。不利とみると見切りを付けて去っていくのだが、大きな会社からお金を取って、それで成功報酬を得ようとする弁護士が、次から次に現れるのだ。
判決の日、はたして、陪審員は住友林業に問題あり、すなわち、大会社が、地道にやっている働き者の木こりをいじめていると判断した。
これを受けて、判事が言った言葉はいまでも覚えている。「スミトモ・イズ・ライト・イン・ロー。バット、イト・イズ・ノット・エブリシング(住友は法律において正しい。しかし、それがすべてではない)」。判事は、判決は商法を適用するが、法的に正しければそれでいいというわけではないと、説諭のようなことを言ったのだった。
僕もその通りだと思った。訴訟を起こしたスプレイグさんは正直な人で、契約解除にサインした書類がないのにもかかわらず、自分は口頭でOKしたのだと法廷で認めた。相場が暴落したからといってもう引き取りませんという住友林業の態度に、そもそも人間味がなかったのだ。
ビジネスも心を持つ人間同士の営みなのである。僕は判事の言葉に大事なことを学んだ。そして髪の毛が抜けるほどの法廷での修羅場を経験し、それ以降、矢でも鉄砲でも持ってこいと、相当に腹の据わった人間になった。
しかし許せないのは本社である。住友林業の魂のために、つまり会社の名誉のために、筋を通そうという意識がなく、ことなかれで和解を指示する態度に終始した。シアトルでの任期が終わると、僕は会社を辞めるつもりで日本に戻った。
(住友林業最高顧問)

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