https://www.nikkei.com/article/DGKKZO61657840T10C22A6KE8000/
だが長期金利の上昇は、インフレ率の上昇に起因しており、ドルで測った実質金利は大幅なマイナスだ。購買力平価説によれば、インフレ率の高い国の通貨は弱くなるはずだ。しかしながら今のところ米国から資金が逃避していく兆候はみえない。これもまたドルの強さの表れなのだろうか。
ドルの強さがもたらす必然の結果として、米国は国際紛争の解決手段として金融制裁という「切り札」を使える。各国政府、巨大企業、政治的影響力のある富裕層などは資産を主にドルで保有することを逆手にとり、米国は資産を凍結できる。また国際銀行間通信協会(SWIFT)を事実上の支配下に置いており、対象国の取引銀行を送金停止に追い込める。強いドルを武器に、米国は金融制裁を発動してロシアを経済的に追い込もうとしている。
ドルは盤石なのか。基本的なところからみていく。
貨幣の機能のアナロジー(類比)でいえば、国際通貨が担うべき機能は、国際的な価値尺度としての機能、国際的な決済手段としての機能、国際的な貯蔵手段としての機能となる。これら3つの機能は相互に補完的であり、決済機能の高まりが貯蔵手段としての価値を高め、貯蔵手段としての価値が決済機能の価値を高める。どれか一つが欠けても国際通貨とは呼べない。価値尺度としての機能と決済機能を備えていても、貯蔵手段として魅力がなければ通貨とは呼べない。
図の「国際決済」は、外国為替を使った金融機関取引に利用される通貨別シェアで、国際的な決済手段に着目した指標だ。「外貨準備」は、各国政府が保有する外貨準備の保有状況の通貨別シェアで、国際的な貯蔵手段に着目した指標だ。いずれの指標も、ドルの強さが際立つ。世界経済における国内総生産(GDP)シェア(ドルベース換算)と比較すると顕著だ。
一方、弱さが目立つのが中国だ。輸出貿易額では既に世界一だが、国際決済シェアは2.5%にすぎない。2016年に人民元は国際通貨基金(IMF)の特別引き出し権(SDR)の構成通貨に組み入れられたにもかかわらず、外貨準備シェアは2.4%にとどまる。人民元は国際通貨としてはいまだ認知度が低い。
人民元の国際的地位向上のために中国がとった戦略は、決済面の優位性を高めることだった。デジタル人民元の開発は進んでおり、小口決済システムの技術に関する限り中国は既に世界一だ。だが通貨の勢力図を変えるには至っていない。
中国は15年の上海株式相場の暴落以来、国外への資本逃避を恐れて資本規制を強化している。人民元レートが中国人民銀行(中銀)の管理下にあることは周知の事実だ。中国政府が広範な金融制度改革を実施し市場原理を尊重する姿勢を示さない限り、外国人投資家は人民元建ての資産を持とうとしない。貯蓄手段としての魅力がない人民元は国際通貨として限界がある。
経済的環境をみる限り、国際通貨の勢力図は急激には変わらないようにみえる。だが国際通貨の興亡は、戦争や危機など大事件をきっかけに非連続的に生じてきたことを歴史は示す。
戦後の欧州経済復興を目指したマーシャルプランを思い出してみよう。ブレトンウッズ会議でドルを事実上の基軸通貨とする金ドル本位制の枠組みは決まったが、すぐに機能したわけではない。欧州経済は戦争で疲弊しており、ドルと金は米国に集中していたため、ドルは国際間で流通しようがなかった。米国による無償贈与を中心に復興援助を実施して欧州経済の購買力を創り出し、米国からの輸出でドルを還流させることで、ドルが米欧間を流通するようになった。かくしてドル体制は軌道に乗った。
今回のウクライナ危機もまた、戦後処理の行方が国際通貨の勢力図に影響を与えることになるかもしれない。そしてそれは停戦・終戦の形に依存するだろう。
話の見通しをよくするため、まずドル1強が存続するシナリオから始めよう。経済学者キンドルバーガーは、対象国が危機に陥った時に救済する最後の貸し手機能こそが基軸通貨国の重要な仕事だと指摘した。
ロシアが軍事的・経済的に壊滅的な打撃を受け、ほぼ国家主権を喪失する形で終戦となる場合、基軸通貨国の米国を中心とする欧米が原状回復の責務を負うのが自然だとの考え方が浮上するだろう。ロシアに多額の賠償金を課し、支払い履行を促す名目で経済復興がIMF主導で実施される可能性が高い。ロシア産のエネルギーは従来通りドルで決済され、ロシア経済をドル経済圏につなぎ留められる。強いドルは維持される。
しかしロシアに国家主権が残る形で停戦・終戦となる場合、事態は複雑となる。仮にプーチン大統領が失脚しても非民主的な独裁政権が樹立されれば、西側主導でロシア経済を復興する流れにはならないだろう。ロシアも欧米主導の復興に応じず、代わりに中国に接近することが予想される。
すると、興味は中国がロシアの復興に応じるかという点に絞られる。中国は広域経済圏構想「一帯一路」を掲げユーラシア圏に覇権を確立しようとしており、ロシア支援に興味を持つだろう。高利の借款で「債務のわな」に陥れ、あわよくば経済的従属を強いる機会ととらえるかもしれない。
一方、中国経済は単独で援助するだけの体力はあるだろうか。ゼロコロナ政策の破綻で経済成長の落ち込みが懸念される。さらに不動産など不良債権問題が広がれば、中国政府は金融機関の危機対応に追われ、資金と人材の両面で国内の資源をロシア支援に割く余裕はなくなるかもしれない。
金融制裁の影響でロシアの外貨準備におけるドル比率は既に下落しており、人民元比率が上昇している。そしてロシアの戦後処理に対し米国と中国のどちらが主導権をとるかが、国際通貨の勢力図に決定的な影響を与えることになろう。
仮にロシア支援で中国が最後の貸し手機能を果たすならば、米国と敵対する国や民主化の遅れた途上国など中国を頼りにする国は増え、人民元の国際的地位は高まるだろう。一方、米国にとって、金融制裁の効果が不完全に終わったがために、ドル経済圏が縮小するという皮肉な事態は耐え難いだろう。信用を誇るドルを武器に巻き返しを図ることは予測の範囲内だ。いずれにせよ通貨覇権の行方は停戦・終戦のあとに山場を迎えることになるだろう。
○国際決済や外貨準備ではドルの優位顕著
○過去には戦争や危機が通貨興亡の転機に
○ロシアの戦後復興巡り米中が主導権争い
さくらがわ・まさや 59年生まれ。大阪大博士(経済学)。専門は国際金融論、マクロ経済学

コメントをお書きください