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国土計画家・コンセプター 金野幸雄さん 古民家再生、法を動かす(2)

兵庫県職員、篠山市(現丹波篠山市)副市長として計30年近く勤めた。

振り返ると「(役人)らしくなかった」のかなとは思います。周囲の同調圧力に屈せず発言するので、組織にとっては、はみ出し者です。面倒があればどうよけて通るかを考えたがるのが役人のならわしですが、自分は「目の前の穴ぼこは埋める努力をする」たちでした。

鉄道の高架化を担当していたときは、職分を越えて駅周辺のまちづくりを地元と一緒にあれこれ考えていました。本来は「線路を上に上げるだけ」でいいのですが、それではあまり楽しくない。

自分が役人でしたから、役人の思考法や動き方はよく知っています。役所の都合や限界のようなものも理解していました。たとえば限界集落の古民家を再生したオーベルジュ「集落丸山」は当時の旅館業法で「簡易宿所営業」に分類されました。この法律を基にした兵庫県の基準では、定員15人以下の簡易宿所には「トイレが4つ必要」と決められていました。

でも私たちがつくる定員5人の1棟貸しの宿にトイレが4つもあるのはおかしい。実は旅館業法は1948年制定で、簡易宿所とは戦後混乱期の「ドヤ」の基準なのです。現代には適合しませんが、担当者は「決まっていることだから」と言うばかりです。

実際、保健所の窓口でそう指導されて開業を断念した例がいくつもあると分かりました。自分が役人でなければ私も途方に暮れたはずです。でも、許可される理屈をこちらで考えて乗り越えることができました。

2011年、副市長退任と同時に55歳で兵庫県職員を辞めました。ためらう気持ちはありました。残れば局長、部長と昇進し、県政の課題に取り組めるかもしれない。

でも、空き家となった歴史的建築物の活用という目の前の"穴ぼこ"と、その可能性に気づいていました。まちづくりには、問題に気づいた者が動き始めなければならないという鉄則があります。問題を指摘しただけで放置すれば、解決できないものとして固定してしまいます。それは社会的にはむしろマイナスです。退職は成り行きでしたが、必然でもありました。

官民連携の時代、地域課題の解決に民間が貢献する時代になりましたので、役人が本気ではみ出すのも一つの生き方かと思います。

  古民家を再生し、活用しながら守る――。その取り組みを阻む、時代に合わない各種規制の見直しを訴え、改正につなげてきた。

一例が1950年につくられた建築基準法です。法施行以前に建てられた建物を一律「既存不適格建築物」と呼び、構造設備の基準も用意されていません。日本社会が築いてきた伝統構法を無視し、使えなくして、建て替えに誘導してしまう。

私たちは欧州の街並みに、積み重ねた歴史の重みを感じ取り、その空間で日常生活が現に営まれていることに美しさや楽しさを感じます。なぜ日本でそれができないのでしょうか。地域の風土に見合っていて、長い時間を風雪や地震に耐えてきた建物は、その土地の貴重な文化資産です。

そして旅館業法。トイレ数はほんの一例で、客室数はホテルで10室以上、旅館で5室以上が必要。旅館に洋式寝具、つまりベッドはダメ。明るすぎる照度基準。玄関帳場の設置義務――。時代に合わない基準ばかりでした。筋が通らないばかりか、法が社会に害をなしていました。

  「集落丸山」に続いて取り組んだのが「城下町ホテル」構想だ。

篠山の旧城下町を一つのホテルに見立て、点在する町家や武家屋敷などの空き家を連続的に修復する構想です。最初はカフェやレストラン、雑貨店、工房などを作っていきました。次に1棟貸しや2~5室のホテルを分散型でつくることにしたのですが、これを旅館業法が認めていなかった。こうして国家戦略特区の提案に至ります。