丹波篠山は兵庫県の山あいにあり、神戸にも大阪にも京都にも近いのに、日本の懐かしい原風景をたたえた町です。40代半ばだった2001年、県職員としてこの土地のまちづくりに関わって以来、景観形成と古民家再生による地方創生に取り組んできました。
篠山城下町近くの小さな谷の奥に丸山という集落があります。城下町に流れ込む川の水源地で、里山に抱かれた典型的な日本の村ですが、12戸のうち7戸が空き家で、耕作放棄地が目立つ限界集落でした。この集落の空き家を改修し、1棟貸しのホテル2棟、フレンチのレストランというオーベルジュ(食を楽しみながら滞在できる宿)を開業する事業に携わりました。09年10月のことです。
県職員は転勤が多い仕事です。私は07年から出向の形で篠山市(現丹波篠山市)の副市長に就きました。当時は平成の大合併後の負債償還などから財政が悪化。2年間は再建に明け暮れました。人員削減や給与カット、公共工事の休止や補助金廃止などです。
市の第三セクター(三セク)の整理統合・民営化も実行したのですが、かつて嘱託職員を外部化してつくった三セクを、さらに民営化するのですからひどい話です。そしてこちらも人員削減。彼らのために何か新しい仕事を起こせないかと考えました。思いついた事業のひとつが、市内に多数ある古民家、空き家を活用したまちづくり事業でした。
その古民家は篠山城下町の中心部にありました。江戸時代に建てられた敷地100坪(330平方メートル)の古びた町家で、友人が1000万円で購入しました。その友人はボランティアを集めて再生しようというのです。
再生には2年かかりましたが、結局2230万円で売ることができました。不動産の世界には「壊して新しく建てた方が安い」という常とう句がありますが、それは嘘。そのことを立証できました。
傾いたり壊れかけたりしていても、古民家は直して使うことができます。時間をたたえた空間が光を放ちます。何世代もの家族が過ごした建物は、その土地の風土に合ったつくりで、地場の材料を使って建てられている。名もない町家や農家も地域の文化資産なのです。それを、戦後にできた建築基準法は「既存不適格」と決めつけ、簡単に建て替えて、どこにでもある無個性な町並みにしようとする。
そうではなく歴史的建築物を生かし、「文化」として次の世代に伝える。そこに雇用や小さな産業が生まれ、その一つ一つの連鎖がまちづくりにつながると思ったのです。限界集落に開業したオーベルジュ「集落丸山」は取り組みの第1弾です。村人による計画づくりに半年、改修に半年。1年で開業しました。
2棟の宿泊棟は予約受け付けやフロント業務から部屋のメンテナンス、朝食の提供まで、村人が自前でしています。宿泊者は本物の農村の暮らしの中に入っていくわけです。その土地の日常と切り離された普通のホテルで過ごすよりも楽しい、と価値を見いだす人は多いでしょう。レストランも廃屋を再生。その空間を気に入った著名なシェフが神戸から移住してきました。
略歴 徳島県生まれ。東大工卒。兵庫県職員として河川、道路、都市計画など担当。2007年篠山市副市長。09年一般社団法人ノオト設立。21年つぎと会長。内閣官房「歴史的資源を活用した観光まちづくり専門家会議」構成員

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