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「モノのパスポート」の衝撃

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO61662380T10C22A6TCR000/

 

世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)に隠れて目立たなかったが、経済再開を象徴するもう一つの国際イベントは6月2日までドイツで開かれた製造技術の大型見本市「ハノーバーメッセ」だった。

インダストリー4.0、モノのインターネット(IoT)、第4次産業革命――。聞き覚えのある人は多いはずだ。一連の構想を独企業のボッシュやSAPが打ち出したのは2011年の同メッセだった。独政府はそれを産業政策に格上げし、ダボス会議の主宰者クラウス・シュワブWEF会長(独出身)も16年に「第四次産業革命」という本を書いた。

「デジタル・プロダクト・パスポート(DPP)」という言葉を何度か聞いた。「全デジタル製品に割り当てる旅券」という意味で、欧州連合(EU)が27年にも導入し、内外企業に取得を義務づけるという。

 

 

 

パスポートといえば人の属性、履歴を書き込む公的な本人証明書だ。起源は古く、古代のエジプトやローマにさかのぼるが、「モノ」にパスポートができるのは21世紀の欧州が初めてだろう。

企業はすでに情報収集に追われている。パスポート(冊子というよりQRコード的なもの)を持たない製品は域内に入れなくなるからだ。どういう企業、製品に影響するかといえば、中国で組み立てる米アップル製品や韓国製テレビ、台湾製パソコンはもちろん、半導体やソフトウエアを使う白物家電や内燃機関の車もデジタル製品の仲間に入れられる。

「メードバイジャパン」でいえば、トヨタ自動車の乗用車「カローラ」や「ヤリス」などが金額的に大きそうだ。EUは7日、パソコンなどの充電器をアップル製品の多くで採用していない「USBタイプC」に絞る規格の統一を発表したが、そうした動きはまだ序の口だということだ。

なぜ今規制かといえば、脱炭素と循環型経済でEUが先行しようとするためだ。製品がどこで採掘された原料を使い、どこで最終製品にされたか。その間、製品はどう運ばれ、二酸化炭素(CO2)を合計どれだけ出したか、などもパスポート上で電子的に把握できるようにする。欧州の環境基準に達せず、認証機関のお墨付きが得られなければ、域内企業にも海外企業にも販売許可を与えない。監視は販売後も続く。

 

 

 

「体のいい非関税障壁ではないか」という声も出てこよう。だが地球温暖化の対応につながる法令だけに、世界貿易機関(WTO)に日本が持ち込んでも「EUを論破するのは難しそう」と国際標準化戦略に詳しい多摩大学大学院の市川芳明客員教授は話す。

構想自体が技術的に可能かの点もあるが、そこは「4.0」だ。モノをネットにつなぐ情報機器や技術は多数存在し、改ざんを許さないブロックチェーン(分散型台帳)技術、データを流通させる域内プラットフォームももう確立ずみだ。あとは制度の詳細を詰め、EU各国の合意を取り付ける作業に絞られつつあるという。

これとは別に、ドイツは独自に車の供給網の情報基盤づくりも進める。外見は部品のカタログサイトに見えるが、欧州で取引する事業者は車メーカーも部品メーカーもそこに口座を開く必要がある。環境対応で厳格な審査があり、基準に適合しないとやはり欧州ビジネスから締め出されてしまう。

欧州がコロナ禍で進めてきたのは「主要製品の供給網を規格で握る」ということだろう。4.0で言えば当初は米企業に押される欧州企業のデジタル化支援のためと考えられた。だが、本当の狙いはデジュール(公的標準)戦略強化の基盤整備にあったわけだ。

欧州を起点に脱炭素や車の電動化が広がったのを考えれば、環境意識の高い米カリフォルニア州などがモノのパスポートでも欧州にならう可能性は高い。輸出品で影響を受ける中国も早急に取り入れるだろうとされている。

 

 

 

日本企業も対応が必至だ。現実的に、今からEU式と競っても意味はない。国際標準づくりは日本の重要戦略だが、今回はEU式に日本の求める要素を織り込んでもらう交渉の運び方も一案だ。中国との競争を意識するなら、人権やウェルビーイング(心身の健康や幸福)が一例かもしれない。

より重要なのは意識の転換だ。コロナ禍以降、企業が何を重視したかを調べた東アジア・アセアン経済研究センターによれば、「デジタル化」とした企業は欧州が33%、米国が28%、日本が13%(調査地区はいずれもアジア)だった。一方、「コスト削減」とした割合は日本が70%、米欧が各52%だ。コストの削減は重要だが、重視しすぎるあまり、日本はデジタル技術で新境地を目指す意識が希薄になっていた可能性がある。

規格を巡る戦略も発想の違いが出ている。欧州は脱炭素という長期目標から戦略を作る演繹(えんえき)法、日本はゼロから積み上げる帰納法を好む。良さはそれぞれあるが、大きな課題に直面する21世紀は演繹法の時代かもしれない。欧州のモノのパスポート戦略にも研究すべきことは多い。