https://www.nikkei.com/article/DGKKZO61610920Q2A610C2MY1000/
治療手段が格段に進歩したためだ。ところが今も、日本人では死因のトップとなる全体の約3割を占め、ドイツや米国でも多くの人々の命を脅かす。医学が発展しても、なお制圧できないのはなぜか。人類はまだ、がんのすべてを理解したわけではないからだ。がんの謎めいた姿に迫れたとき、この病を乗り越えるヒントが見えてくる。
がんの別名を悪性新生物という。新型コロナウイルスに気をとられがちだが、怖さは変わらない。正常な細胞が急に増殖を始め、体の働きを妨げる。老化などで遺伝子に入る傷の蓄積が、がんの一因になるというのが定説だ。
だが理化学研究所のチームは、傷が招く異常な細胞の出現を抑える仕組みが働かない事態こそが元凶との見方を示す。
ショウジョウバエの実験では、細胞を増やすp38遺伝子が働くと、がん細胞を殺すJNK遺伝子も同時に動いた。細胞が急に分裂を始めたら、誤ってがん細胞も生まれかねない。「防波堤として、生物はJNK遺伝子を使う」(同チーム)
しかし体中にある様々な防波堤をかいくぐってしまったとき、がん細胞が顔をのぞかせる。問題は、がんが「できること」ではなく、「出現を防げないこと」だとユ・サガン・チームリーダーはいう。
2020年にがんで亡くなった人は日本で約38万人いる。日本のがんの統計によると、死亡率は人口10万人あたりで男性は約148人、女性は約83人だ。
経済協力開発機構(OECD)のデータでは、カナダやドイツ、米国の死亡率は日本より高い。世界も、がんを克服できていない。
がんをもとから絶つのは難しい。遺伝子の本体であるDNAは、成長に伴う細胞分裂のたびに複製ミスが起き、傷がたまる。体が紫外線や化学物質、放射線にさらされてもDNAは傷む。数年から数十年を経て、がん細胞が現れる。
DNAは約60億個もの部品からなる。体が備える安全装置によって、傷が1~数個であれば6時間後には約8割が元に戻る。
だが最大で7個の傷がつくなどすると、18時間後も6割が残る。量子科学技術研究開発機構の中野敏彰主幹研究員らが、放射線を浴びせた100万個に及ぶヒトのリンパ球を調べて突き止めた。
東京医科歯科大学の清水幹容助教らは、細胞が持つ約2万個の遺伝子のうち、「RAS」と呼ぶ遺伝子を含む3個が変化するだけで多くのがんを生み出す親玉ができる現象を見つけた。
がんは宿命なのだろうか。約40億年の歴史で生命が魚類や哺乳類、人類へと進化する一方で「生物を進化させた遺伝子の変異が行き過ぎてしまったのかもしれない」と清水助教は語る。
進化で優れた知能を獲得した人類は医療技術が進歩して寿命が延びた結果、がんで死ぬ人が増えた側面もある。
人生が50年にも満たない時代には感染症や飢餓で亡くなる人が多く、がんの死者は少なかった。
東京大学の中川恵一特任教授は「江戸時代には、日本人に多かった胃がんも正しく診断できなかったはずだ」と話す。診断や治療ができるようになったのはレントゲンや内視鏡、麻酔が登場した近年のことだ。
だが希望の光がともる。熊本大学の三浦恭子准教授らが研究するのはアフリカに暮らすハダカデバネズミだ。寿命はマウスの10倍の約30年と長いが、がんになりにくい。発がん物質にさらしても、がんができなかった。長寿が必ずしも悪いわけではないようだ。
iPS細胞を作って調べると、がんを防ぐARF遺伝子が働く一方、増殖に関わる一部の遺伝子が壊れていた。ARF遺伝子の働きが鈍れば細胞の増殖を抑え、がんの発生を防ぐモードに移った。「仕組みが詳しく分かれば、人間の遺伝子の働きを調節してがんを防ぐ薬を作れるかもしれない」(同准教授)
細胞分裂で遺伝子が傷つきやすいのであれば、体の大きな動物はがんになる確率が高いはずだ。
ところが「クジラの細胞の数をヒトの1千倍と考えると80歳までに大腸がんになる確率は100%だ。しかし、実際にがんで死ぬのは2%以下との報告がある」(東京都健康長寿医療センター研究所の志智優樹研究員)。がんの出現を抑える術(すべ)がこの世界のどこかにある。
人類も手をこまぬいているわけではない。人口構成を考慮した死亡率は、日本人の男性では1990年代後半ころから、女性では60年代から下がり続けている。がんの原因になるピロリ菌や肝炎ウイルスの感染者が減り、喫煙率が下がったためだ。
それでも多くの人は、がんを患う。国立がん研究センターは、予防が大切だと説く。禁煙と節酒、バランスの取れた食事や運動、適正体重の維持でリスクは4割減るという。検診も大事になる。


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