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「気候変動と金融」研究に新展開 リスク軽減策の提案も Global Economics Trends 日本経済研究センター副主任研究員 梶田脩斗

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD063Y00W2A600C2000000

 

「脱炭素目標達成に必要な金額は1京円」「気候変動で投資回収できない座礁資産が100兆円発生」。「気候変動と金融」で検索すると、気候変動リスクに警鐘を鳴らす見出しが躍る。これらはほとんどが、規制当局者や産業界の実務家の立場から見たものである。「産官学」のうち、気候変動リスクに伴う金融面への影響を「学」はどう考えているのだろうか。

 

本稿では、世界の経済学者のうち、株式や債券などの証券を専門とする米欧のファイナンス学者たちが気候変動とどう向き合い、「気候ファイナンス」を研究しているのかについて紹介したい。二酸化炭素(CO2)排出量が多くなると市場で株価が割安で評価される「カーボンリスクプレミアム」、ダイベストメント(投資撤退)が引き起こす株価の下落、新聞記事から気候変動リスクを定量化する試みなど、新たな発見や野心的な取り組みが展開されている実態がみえてきた。

ファイナンス学界で気候リスクに注目高まる

気候ファイナンス(Climate Finance)とは、温暖化ガス排出の少ない低炭素経済への移行に対して金融が果たす役割や、移行による金融面への影響を考察する学問領域である。グリーンボンド(環境債)などの金融イノベーション(技術革新)に関する研究は低炭素経済への移行を後押しする知見として役立つことが期待されるほか、われわれの金融資産を気候変動リスクからどう守るかといったことも研究されている。

これまでファイナンス分野で気候変動リスクはほとんど研究されてこなかったが、近年その潮目が変わりつつある。ファイナンス分野のトップジャーナル「Review of Financial Studies」は、気候ファイナンスの研究に取り組むことをためらう学者を引き込むための実験を試みた。同誌は、認知科学の専門学術誌「Cortex」が開発した登録報告書(Registered reports)方式による気候ファイナンスに関する論文のコンペティションを実施した(Climate Finance)。

この方式では、研究計画さえ事前に承認されれば、最終的な研究結果が得られる前に原則的に論文が受理される。気候変動のような成果の不確実性が高いトピックには打ってつけの査読方式だ。最終的に受理された論文の著者には、ラース・ハンセン米シカゴ大教授やロバート・エングル米ニューヨーク大教授といったノーベル経済学賞を受賞した有力学者も名を連ねており、米欧のファイナンス学界で気候変動問題への関心が高まっていることがうかがえる。

では、ファイナンス学者は具体的に気候変動のどのような点に関心を持っているのだろうか。米ニューヨーク大学のヨハン・ストレーベル教授とジェフリー・ワーグラー教授は、研究業績上位100校のファイナンス学科の教員を対象に気候ファイナンスに関するアンケート調査を実施し、結果を「気候ファイナンスについてどう思いますか?」(What do you think about climate finance?)と題する論文にまとめている。

「どの気候リスクが最も重要だと考えるか」という設問に対し、ファイナンス学者は、今後5年以内では、低炭素経済への「移行」に伴う規制強化が最も重要だと回答している。また、より長期では、地球環境の変化から生じる海面上昇や森林火災などの「物理」リスクが最も重要だとしている。

こうした気候リスクを「移行リスク」や「物理的リスク」に大別する考え方は、2015年9月にマーク・カーニー英イングランド銀行総裁(当時)が「時間軸の悲劇を断ち切る」(Breaking the Tragedy of the Horizon)という演目の講演で言及したことで有名になった。気候変動リスク等に係る金融当局ネットワーク(NGFS)が中央銀行および監督当局向けに公表している気候シナリオでも、気候リスクを移行リスクと物理リスクに分けている。学界でもこうしたフレームワーク(枠組み)で気候リスクを考えることがスタンダードになりつつあるようだ。

気候リスクは資産価格に影響を与えるか

基礎的な資産価格理論では、ある資産の価格はその資産が将来にわたって生み出すキャッシュフローの現在価値で裏付けられる。資産が生み出すキャッシュフローとは、株式であれば配当、債券であればクーポン(利子)や元本だ。こうしたキャッシュフローに割引因子をかけあわせることで、資産の現在価値、すなわち理論価格が決定される。

気候リスクが理論価格になんらかの影響を与えるとすれば、それは「移行リスク」や「物理的リスク」が資産の現在価値を構成する「キャッシュフロー」や「割引因子」に影響を与えるメカニズムが存在する、ということを意味する。

この前提知識があれば、「気候リスクと資産価格」について直感的に2つの問いを立てることができる。1つ目は「気候リスクは資産価格に影響を与えているか」という実証的な問いである。この問いに対する答えがイエスならば、気候リスクと現在価値は密接に関係していることになる。したがって、気候リスクが前述した現在価値の構成要素に影響を与えるメカニズムを理論的に解明しようとする動機が生じる。ここから2つ目の問いが生まれる。すなわち「気候リスクが正しくキャッシュフローや割引因子に織り込まれた場合、理論価格はいくらかになるか」という規範的な問いである。

気候ファイナンスの研究は、現状では「気候リスクは資産価格に影響を与えているか」という1つ目の問いをデータから確かめる実証研究が多く、2つ目の問いに関する研究は少ない。気候リスクと資産価格に関する実証研究は、不動産・債券・銀行貸し出し・オプション取引など多岐にわたる分野で知見が蓄積されつつあるが、以下では株式の事例を紹介する。

企業のキャッシュフローリスクの源泉としてのCO2排出は「カーボンリスク」と呼ばれる。カーボンリスクの代表例は、化石燃料産業における座礁資産である。座礁資産とは、気候変動や規制の影響により、大きく価値が下落することが見込まれる物的資産のことを指す。また、座礁資産だけでなく、炭素税の導入などの環境規制強化により、企業が金銭的な罰則を受けることもカーボンリスクの一種とみなされる(The pricing of carbon risk in syndicated loans: Which risks are priced and why?)。

CO2を多く排出している企業(以下「ブラウン企業」と呼称)、すなわちカーボンリスクの高い企業は株式市場でどのような評価を受けているだろうか。以下では、パトリック・ボルトン米コロンビア大教授とマーチン・カスペルチク英インペリアル・カレッジ・ロンドン教授の「投資家はカーボンリスクを気にするのか?」(Do investors care about carbon risk?)という論文で提示された2つの仮説を紹介する。

1つ目の仮説は、ブラウン企業の株価が市場で割高に評価されているとする「市場非効率性仮説」だ。この仮説では、投資家は近視眼的な思考で地球温暖化の影響を無視しているほか、市場の情報生産機能に非効率性(株式アナリストがブラウン企業の株価算定に用いるキャッシュフローシナリオに炭素税の導入を織り込んでいないなど)が存在することから、CO2排出のリスクが市場で過小に評価されており、ブラウン企業の株価が割高であるとされる。

2つ目の仮説は、投資家はCO2排出にかかる潜在的な費用を認識しており、株価にカーボンリスクが織り込まれているとする「カーボンリスクプレミアム仮説」だ。この仮説によれば、ブラウン企業は気候リスクに関する外部環境(炭素税の導入や再生可能エネルギーの技術革新など)の変化により経済的損失を被る可能性が高いことから、投資家はブラウン企業に対しカーボンリスクの対価(カーボンリスクプレミアム)を求める。その結果、ブラウン企業の株価は割安に価格付けされることになる。カーボンリスクプレミアム仮説の成立は、ブラウン企業にCO2排出を削減する誘因が存在することを示唆する。

ボルトン教授らの実証研究の結果は、カーボンリスクプレミアム仮説を支持している。ボルトン教授らはCO2排出量に応じてブラウン企業の株価が割安に価格付けされていることを確認したうえで、これを投資家が要求するカーボンプレミアムとして定量化した。このカーボンプレミアムは、企業が直接排出する(スコープ1)CO2排出量が1標準偏差増えることで、年率で1.8~3.1%ほど上昇すると報告している。

これとは反対に、市場非効率性仮説の成立を支持する研究もある。スタンフォード大グローバル・プロジェクト・センターのソー・ヤン・イン主任研究員による研究は、ブラウン企業の株式を空売りし、CO2排出量の少ない企業の株式を保有するポートフォリオが市場トレンドよりも高いリターンを生み出したと報告している(Is 'Being Green' Rewarded in the Market?: An Empirical Investigation of Decarbonization and Stock Returns)。このようにカーボンリスクに関する実証研究の結果は、学者間で見解が分かれており、学界でカーボンリスクについてのコンセンサス(合意)が形成されるにはまだしばらく時間がかかりそうだ。

機関投資家の圧力、CO2排出量への影響は

近年、企業に気候変動対応を求める機関投資家の圧力が急速に高まっている。化石燃料産業からの投資撤退(ダイベストメント)の状況をまとめた「Global Fossil Fuel Divestment Commitments Database」によれば、1500以上の機関投資家が化石燃料産業からの投資撤退を表明しており、その総額は40兆ドル(約5300兆円)以上にのぼる。

ダイベストメントの事例としては、機関投資家のポートフォリオからの「罪ある株式(sin stocks)」の除外が有名だ。「罪ある株式」の代表例は、タバコ・アルコール・ギャンブルの「罪の3巨頭(Triumvirate of sins)」とされる産業に属する企業の株式である。これらの製品・サービスは、過剰に消費された場合の中毒性や望ましくない社会的影響のために、海外の個人や社会集団から罪深いとみなされている(The price of sin: The effects of social norms on markets)。機関投資家のポートフォリオからブラウン企業銘柄を除外することは、いわば「罪ある株式」のリストにブラウン企業が加わることを意味する。

こうした機関投資家からの圧力は気候変動の緩和に寄与しているだろうか。これを確かめるには、以下の2つの現象をデータから確認する必要がある。1つ目は、機関投資家がブラウン企業銘柄をポートフォリオから除外することで、実際に株価に下落圧力が生じているか、ということである。2つ目は、ブラウン企業はこれを回避するためにCO2排出量を減らしているか、ということである。この2つの現象が確認できれば、ダイベストメントにより企業のCO2排出量が減少する、いわば「脱炭素の金融経路」が存在することになる。

マルコ・ウィルキンス独アウクスブルク大教授らの研究チームは、投資信託のポートフォリオの脱炭素化(ブラウン企業銘柄の除外)の状況を定量化し、ポートフォリオの脱炭素化による売り圧力がブラウン企業の株価を下落させているかどうかを調べた(The effects of mutual fund decarbonization on stock prices and carbon emissions)。この研究では、脱炭素化のためにポートフォリオから除外された売りを「脱炭素化売り圧力(DSP)」という指標で定量化している。高DSP銘柄、すなわち投資信託の脱炭素化による売り圧力に直面している銘柄は2年間で平均6.7%も株価が下落していた。これは、一般的な売り圧力に直面している銘柄の下落率(1.4%)と比較して著しく大きいとウィルキンス教授らは指摘している。また、こうした脱炭素化による売り圧力に直面した銘柄は、そうでない企業に比べてCO2排出量が低下する傾向があったと報告している。

機関投資家の働きかけにより、実際にブラウン企業が排出するCO2が減少したかどうかについては、スペインのIESEビジネススクールのガイスカ・オルマザバル教授らの研究チームが詳細に分析している(The Big Three and corporate carbon emission around the world)。オルマザバル教授らは、資産運用業界のビッグスリー(ブラックロック、バンガード、ステート・ストリート)が世界の企業のCO2排出量削減にどのような役割を果たしたのかを検証している。この研究によれば、ビッグスリーはCO2排出量の多い大規模な企業に対し積極的に気候変動対応を求めており、またビッグスリーの株式保有率が増えることでブラウン企業のCO2排出量が減少したと報告している。

気候リスク軽減へ投資家は何ができるか

実証研究の分野では、気候変動が資産価格を決定する重要なリスク要因であることを支持するファクトが集まりつつある。では、投資家はこうした「気候変動リスク」にどう向き合えばよいのだろうか。

気候変動リスク対応の本質的な問題は、リスクの引き受け手を探すことが困難であることにある。ある主体が抱えるリスクを移転するには、そのリスクを引き受ける別の主体が存在する必要がある。気候変動が引き起こす経済的損害は計算が困難(高い不確実性)で、かつ経済に広く影響を与える(リスク分散が困難)ことから、特定の民間保険会社などが一手にリスクを引き受けることは難しい。

新たな時系列分析の手法を考案したことで03年にノーベル経済学賞を受賞したエングル・ニューヨーク大教授らの研究チームは「気候変動に関するニュースをヘッジする」(Hedging climate change news)と題した論文で、伝統的なファイナンス理論とテキスト分析で作成した統計的指標を組み合わせ、投資家が気候変動リスクを軽減する手法を提案している。

エングル氏らのアプローチは、気候変動に関する悪いニュースが発生したときに値上がりする銘柄を保有(またはオーバーウエート)し、値下がりする銘柄を空売り(またはアンダーウエート)するというものである。こうすることで、気候変動に関する悪いニュースが流れたときに、このポートフォリオは利益を生む。このポートフォリオを用いて気候変動に関するニュースが引き起こす価格変動を各時点でヘッジすることで、投資家は長期的な気候変動リスクの実現によって生じる損失を埋め合わせることができる。

ここで、気候変動のニュースをどのように計測するかということが問題となる。エングル氏らは、米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の記事から気候変動関連の情報を抽出し、「WSJ気候変動ニュース指数 (WSJ Climate Change News Index)」を作成している。気候変動ニュース指数は時間とともに徐々に上昇しており、温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」の締結など世界の気候変動の将来を左右する重要なイベントが発生したときに急上昇している。エングル氏らの論文では、気候変動ニュース指数の上昇を、将来の気候変動に関する悪いニュースの到来と解釈している。

気候変動ニュースによる価格変動をヘッジするためには、ニュースに対して企業の株価がどのように反応するかを見極める必要がある。エングル氏らは、気候リスクに対する各銘柄の感応度(エクスポージャー)を米モルガン・スタンレー・キャピタル・インターナショナル(MSCI)と調査会社サステイナリティクスが作成した企業レベルの環境スコアで代用している。気候リスクをヘッジするポートフォリオは、環境スコアの高い企業をオーバーウエートし、同スコアの低い企業をアンダーウエートするように調整されていく。こうすることで、最終的には気候変動の「勝者」の銘柄を保有し、「敗者」の銘柄を除外したポートフォリオが完成する。この方法で作成したヘッジポートフォリオは、単純に化石燃料産業からクリーンエネルギー産業に傾斜(ティルト)していく戦略と比較して、高いリターンをもたらしたとエングル氏らは報告している。

このエングル氏らの手法には、ファイナンス理論で伝統的に用いられてきた「ダイナミックヘッジ」や「模倣ポートフォリオ(mimicking portfolio)」といったアイデアが応用されている。1997年にマイロン・ショールズ氏がノーベル経済学賞を受賞する理由となった73年の論文(The Pricing of Options and Corporate Liabilities)でヨーロピアンタイプのオプション価格公式(ブラック=ショールズ・モデル)を導出するカギとなった概念だ。ファイナンスの分野でも脱炭素の世界的な潮流にあわせ、主流派の理論で気候変動を考察する研究が生まれてきている。

過去を振り返ると、ファイナンス学者は資本資産評価モデル(CAPM)やブラック=ショールズ・モデルなど、金融ビジネスのパラダイムを変える革新的な成果を生み出してきた実績がある。「気候ファイナンス」でも、ファイナンス学者の創造性がどのように発揮されるか、今後の動向から目が離せない。

現時点では、世界のファイナンス学者たちは「気候リスク」を試行錯誤しながら研究している。日本のファイナンス学者にとっても条件は同じだ。「気候ファイナンス」という分野は生まれたばかりで、世界的な権威は不在だ。日本の特に若いファイナンス学者が気候ファイナンスの研究に乗り出し、世界をリードする研究者があらわれることを期待したい。