https://www.nikkei.com/article/DGKKZO61537640Y2A600C2TCR000/
日本社会のあり方を変える覚悟と行動なしには実現しない。
これからの動きに注目したいキーパーソンは南場智子氏だ。ディー・エヌ・エー(DeNA)の創業者で、スタートアップ振興をリードする経団連副会長でもある。
起業の裾野を広げることは大事だ。だが数を追うのは本筋ではない。成長株を見いだし、大成させる流れがいる。だから資金を投じ起業家を支えるベンチャーキャピタリストの質が重要になる。
日本のベンチャーキャピタル(VC)は独特の歴史を歩んできた。決定打は1987年の日本合同ファイナンス(現ジャフコグループ)の株式店頭登録だと同社出身で日本のキャピタリストの草分けである村口和孝氏は訴える。
起業立国で世界のモデルとなった米国では、投資の主体はキャピタリスト個人だ。ところが日本では、証券会社や銀行が70年代以降に設けた「VC会社」が主役になった。大手のジャフコが公開企業となり、組織的な管理をするVCが業界標準として定着した。
スタートアップは本来、先行きが見通しにくいものなのに、ジャフコでは事業が成功するエビデンス(証拠)探し、審査作業に膨大な労力を割いたという。起業家という個人の柔らかい創造性を企業統治の硬い論理で扱おうとした。
「こちらも個人でないと思い切った判断ができない」。村口氏は会社を辞めて98年に自らファンドをつくる。翌年、投資したのが創業間もないDeNAだった。
4年前、ジャフコは会社組織型からキャピタリスト個人が主軸の体制に転換すると表明したが、日本は世界的に異質なサラリーマンキャピタリストがなお圧倒的だ。事業会社がつくるコーポレートベンチャーキャピタル(CVC)もノンプロを増やしている。村口氏の見立てでは、深い経験のあるキャピタリストは日本にせいぜい100人。「この10倍はほしい」
不足を補うように政府の実行計画は、海外のVCに対する公的資本の投入を盛り込んだ。経団連も世界有数のVC誘致を提言する。幾人か内外のキャピタリストに聞いたが、そう簡単ではない。
最前線で活躍するキャピタリストは自身の才覚を頼りに活動し、投資の成功で巨額の報酬を手にする専門職だ。明快なキャピタルゲイン税制などの仕組みが整わず、思い切った仕事ができるのか不透明な日本は魅力的ではない。
そもそも日本への投資を条件とするようなひも付き資金は、自律を重んじるキャピタリストの思考に合わない。納得のうえ存分に腕を振るえる環境が必須だ。
日本としてキャピタリストを育てる努力も怠れない。シリコンバレーのキャピタリスト、中村幸一郎氏は欧州が参考になるとみる。
00年代、同氏と同じ米国のキャピタリスト教育プログラム(2年間)に、スウェーデンが本拠地の2人が参加していた。のちに彼らはキャピタリストとして同国発の音楽配信会社スポティファイに投資し成功する。米国で得た知識と人脈が生きたのだ。これが刺激となり欧州全体で起業が連鎖し、豊かな生態系ができた。
米グーグルやインテルの大規模CVCは若いキャピタリストの登竜門で、実質的に訓練の場になっているという。日本から行って学べれば価値がある。
「日本には一流キャピタリストが数えるほどしかいない」。南場氏も危機感を持っている。起業家と同様、ここでも個性際立つ人材を確保する具体策が欠かせない。
南場氏がそれまでのDeNAの歩みを記した13年の著書「不格好経営」はいま読んでも面白い。同氏ら創業期メンバーと、村口氏ら支える人たちが交じり合ってエネルギーを発する物語だからだ。
組織に埋没せず、個人がのびのびと能力を発揮でき、成功でも失敗でも個人の挑戦がリスペクトされる。そういう社会の実現こそ、起業で栄える国にたどり着く王道だ。小手先の制度いじりや資金のばらまきはピントがズレている。
スタートアップ育成は、個人の力を生かし切れない社会という問題に行き着くと南場氏はきっと認識している。これを解くのが南場物語の次なるテーマではないか。起業のハードルをとことん下げる。そう考える同氏のもと、DeNAは2019年にデライト・ベンチャーズ(東京・渋谷)を設立した。DeNA社員などから起業家候補を募り、ともに事業計画を練って会社の立ち上げを手伝う。

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