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住友林業最高顧問 矢野龍(8)北九州大学 実用英語 体当たりで学ぶ しっかり者の妻とも出会う

小倉競馬場の近くにある北九州大学は5市合併前の小倉市立の大学で、今は総合大学になりキャンパスも見違えるほど立派だが、僕が入学したころは外国語学部と商学部だけで、木造の学舎が数えるほどの小さな学校だった。

 

高校まで山の中に居て勉強をしてこなかったので、大学ではこれではいけないと机に向かうようになった。大学は最初、シェイクスピアなどの古典を教えていたが、学生が抗議し、聞いて話す実用英語のカリキュラムが次第に増えた。60年安保の頃で、学生も威勢がよかったのだ。

小倉港や門司港は外国船が入ってくるところだ。僕はそこで実用英語を試そうと通訳のアルバイトをした。しかし行ってみると実際は荷積みの手伝いで、船倉に配置されて上から石炭が降ってきた。「よけていないと死ぬぞ」と言われるような仕事だった。

それでも外国人船員たちと接する機会はあり、ジェスチャーでトイレに行きたいと伝えると、英語でどう言えば通じるかを教えてくれたりした。

家庭教師のアルバイトもした。柔道の大家である警察官の息子だったのだが、その警官は月に1回、赤線廃止後の違反を摘発するおとり捜査だと言って、口紅やほお紅を付けてスカーフを巻いて、街角に立っていた。あんな大男に興味を示す客がいるのかと、教えていた息子よりそっちのほうが気になった。

大学の教授に頼まれ、地元の名の通った進学校である小倉高校の生徒も教えた。教授の子供とその友達に英文法を説明していたところ、「先生、それ違うよ」と言われた。いい参考書を持っていて、向こうのほうがよく知っているのだった。それでその次からは、2人から僕のほうが教わるようになった。隣の部屋で教授の奥さんが聞いていて、半年ほどでクビになった。

勉強をしたといっても、銭湯の一番風呂に行くと英国人の先生がいて英語で話しかけられるというので、一番風呂を避けていたくらいの身の入らないものだった。

九州工業大学や西南女学院など近くの大学との交流英語ディベート大会では、西南の女子学生から「ミスター矢野は何を言っているか分からない」と英語で攻撃された。武器のことを「ウイポン」とカタカナのように言ったのがよくなかったらしい。

大学3年のときに英会話研究会の部長になった。大学1年生で後に妻になる冨美子が入学してきて、僕の研究会のオリエンテーションにも来てくれた。僕はそこで一目ぼれをしたようなものだったが、彼女は僕の発音を聞いて、これはダメだと思ったらしく、僕のサークルには入らなかった。

妻とつながりを付けたのは、住友林業に就職することになって家庭教師を引き継いでもらうことにしたのがきっかけだった。最初のデートで格好を付けてジントニックを飲んだら、僕はふらふらになったが彼女は平気だった。

大学では天の配剤だったか、実用英語を曲がりなりにも勉強し、英語がしゃべれる人材を求めていた住友林業に就職が決まり、しっかり者の妻と出会った。僕は北九州大学に大変な恩義がある。

冨美子の卒業を待って、住友林業に入って3年目に、彼女の郷里である山口県の宇部の神社で結婚式を挙げた。僕は緊張して、儀式の誓詞奏上で新婦のパートまで読んでしまった。それを妻は覚えていて、後に「私は誓約していないので、あなたとの結婚は無効だ」と、ことあるたびに半ば真顔で言うことがあった。