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「チーム堀江」航海の追い風 ヨット太平洋横断、最高齢で 体の負担軽い船設計

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO61447150U2A600C2CM0000/

 

数々の航海を支えてきた仲間が、体力温存の工夫を凝らしたヨットを設計。安全運航のため、日々変わる洋上の天候を伝えるなどして偉業を後押しした。

 

船の設計は横浜市のヨットデザイナー、横山一郎さん(76)が手掛けた。タッグを組むのは4回目。過去にもウイスキーの貯蔵たるを再利用したヨットや、波の力で動く「波浪推進船」などを生み出してきた相棒にあたる。「アイデアを交換しながら、がっぷり四つで作るのがすごく楽しかった」と語る。

初めて太平洋横断に成功した1962年の初代「マーメイド号」の担当者は横山さんの父、晃さん(故人)だ。親子2代にわたり、快挙に携わった。

堀江さんは当時、初の大航海を控え、著名デザイナーだった晃さんの横浜の事務所を訪ねて設計図を購入。操舵(そうだ)しやすいと評判で、外洋向けの中でも価格が比較的安かったことが決め手になったという。

3月に米国を出発後、69日間の航海をともにした船も初代と同じサイズの全長約6メートル。ヨットとしては小型な部類に入る。1989年には全長約2.8メートルのヨットで太平洋横断に挑んだ。

横山さんは「こんな小さな船でもできると、示したかったのだろう」と話す。

今回の設計のポイントは年齢に配慮し、体への負担を軽減させる仕掛けだ。キャビン内のベッドの真上に天窓を設け、寝ながらでも帆やマストの状態を確認できるようになった。通常はデッキに出る必要があるが、「強風などで転落する危険を避けられる」(横山さん)という。

ベッドも壁側を少し低くなるよう傾斜を設け、揺れても転げ落ちにくい工夫を施した。材質も合板から耐食アルミ板へと変貌を遂げ、強度は大幅に高まった。

太平洋横断に初めて成功した60年前と比べると、船上での調理は簡単になった。飯ごうで炊いていた米は、レトルト商品を湯煎するだけで食べられるようになった。

機器類の進化も手助けした。位置を把握するのに六分儀や羅針盤を使っていたが、全地球測位システム(GPS)が搭載されるなど、測定時間は縮まり正確さも増した。

灯油ランプだった船内の明かりはLED(発光ダイオード)に。Wi-Fi(ワイファイ)など通信環境の整備によってスマートフォンでのやり取りが可能になった。

「やりたいことは、どんなことがあってもやる人」。50年来の知人、京都府宇治市の堀江治夫さん(78)は航海中、毎朝連絡を取り合ったという。天候や海流など、国内の支援者らとの衛星携帯電話を通じた情報交換により、83歳の冒険家の名が改めて歴史に刻み込まれた。