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衰退が招く危機(上)国家存亡、侵攻の野心に火 死亡が出生超す「ロシアの十字架」 沈む大国、焦るプーチン氏

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO61240300Q2A530C2MM8000/

 

オシポワさんの両親は第2次世界大戦中の1941~44年、ナチス・ドイツ軍による「レニングラード包囲戦」を生き残った。当時人口320万人の同市は2年半にわたり包囲され、推定60万~150万人が死亡した。大半が餓死だったという。

かつてプーチン大統領はインタビューで、志願兵だった父もレニングラード包囲戦を生き延びたと語っている。凄惨な体験を経て反戦を訴えるようになったオシポワさんとは対照的に、プーチン氏は教訓としてこう断言する。「勝利を考え続けなければならない」

 

包囲のトラウマ

 

旧ソ連は第2次大戦で連合国側として勝利したが、人的被害は世界で最も大きかった。2660万人が死亡し、旧ソ連諸国を含む人口2億人弱(当時)の1割以上を失ったとされる。こうした経緯からか、プーチン氏は人口拡大に執着してきた。現在のロシアの人口は1億4千万人強。2020年の年次教書演説では「ロシアの運命は子供が何人生まれるかにかかっている」と主張した

冷戦期を通じて超大国として君臨した旧ソ連の人口の転換点を、人口学者は「ロシアの十字架」と呼ぶ。体制崩壊直後の1992年、社会や経済の混乱で出生数が急落し、グラフ上で十字架を描くように死亡数と逆転した。ロシアの大国としての地位は年々低下し、国内総生産(GDP)でみた経済規模もすでにイタリアや韓国を下回る。

「人口減は国家存亡の危機だ」。プーチン氏は2000年の大統領就任以降、人口増を国家目標に掲げてきた。「母親資本」と呼ぶ給付制度を設け、第2子誕生以降の教育費や住宅購入費などを対象に、平均年収の1.5倍に相当する25万ルーブル(当時約115万円)の補助金制度を設けた。

こうした取り組みも背景にロシアの出生数は急激に回復し、98年の131万人から2015年には190万人に増えた。90年代に西欧より最大12歳以上低い64歳まで悪化していた平均寿命も、2000年代半ばから改善が進んだ。

ウクライナへ侵攻したプーチン氏の最終目標は何なのか。それが透けるのが、同氏が21年7月に発表した論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的な一体性」だ。

「ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人はすべてルーシの子孫だ」。ルーシとは9世紀に建国されたキエフ大公国を指す。プーチン氏は各国が文化・民族的に一体だと主張し「統一」をもくろむ。プーチン氏は自らと同じ名前のキエフ大公国指導者、ウラジーミル大公の巨大な像を大統領府(クレムリン)近くに建てた。

 

併合で260万人増

 

ソ連崩壊後、減り続けていた人口が一時的に持ち直したのは2014年。同年にウクライナ南部クリミア半島の併合を宣言し、統計上の人口を約260万人増やしたためだ。ロシアの19年の移民数は1164万人と世界4位で、25年までに最大1000万人の移民を招く目標を掲げる。

その手段が「在外同胞」と呼ぶ旧ソ連諸国住民の移住だ。プーチン氏は19年、ウクライナ移民らがロシア国籍を得やすくする法律に署名した。AP通信によると、ウクライナ東部地域で人口の約18%にあたる72万人以上がロシア国籍を取得した。

1950年に世界4位だったロシアの人口も、現在は9位に転落した。国連予測では2050年に14位に下がる。ただ旧ソ連諸国を合わせれば7位となり、4位の米国と同じく3億人を超す規模に達する。

大国復活に固執するプーチン氏だが、戦況が膠着して混乱が長引けば犠牲者は増え続ける。制裁による経済低迷や資本・人材流出も加速する。衰退がさらなる暴発を招くリスクに世界が直面している。