部下が私の時間を奪い合う忙しさの中で、乳がんと診断されました。ショックより「ああ、これで休める」と感じたことを覚えています。心配をかけたくないので最小限の人だけに知らせ、仕事を振り分けて3週間休みました。特に採用選考中の学生さんには気づかれないようにしました。私に憧れてくれている人もいたので、元気なイメージを壊したくなくて。気負っていたんですね。
重い物を持てないぶん、出張ではメンバーに荷物を送ってもらうなどの工夫で仕事に支障が出ないようにしました。しかし薬の副作用もあったのか、うつ症状には苦しみました。仕事中は気が紛れますが、家に帰るとカバンを放り出し泣き続けることがあり、当時の日記には「死にたい」と書いています。頭は冷静なのに感情だけが何かにのっとられた状態でした。
主治医に相談すると「せっかくがんは僕が治療したのに死なれては困る」と言う。当初から「医師も人。人事のプロとして、人のやる気をそいではいけない」と決めていたので、私も頑張ろうと院内の精神科へ。半年以上たち自分に合ううつの薬と出合い、心の状態は回復しました。
時薬(ときぐすり)という言葉がありますよね。それまでの自分は生き急いでいた面があったと思います。でも焦っても仕方ないときもある。人の心についてもっと知りたくなり、勉強して産業カウンセラーの資格を取りました。
つらい時期にがん患者の集まりに参加し、たわいないおしゃべりに救われました。仕事で接する人とは異なる人たちの体験を聞くと、自分の悩みがちっぽけなことに思えてきます。「人事の人として何か話を」と言われ、自分の体験や仕事と治療の両立について話しました。やがて相談にのる立場になり、講演などの機会を頂くようになります。
そうした会で出会ったのが都市計画デザイナーの桜井なおみさんです。彼女ががんサバイバー支援の団体をつくり、私は理事として参加することに。運営メンバーはパワフルな人ばかりです。仕事のスピードもクオリティーもレベルが高いので、本業と同じくらい手が抜けません。
メンタルで悩む社員はどの会社でも増えています。がんになってから働き続ける人も多くいます。クレディセゾンは会社として支援の仕組みを整えることにしました。幸い以前から女性社員が多く、産休や育休の取得は当たり前。シフトの工夫などで助け合う文化があったのです。
時短勤務や復職時の支援など今ある仕組みを、男性を含め全社員が使えるようにすればいい。外部の専門家の知恵を借り、事業所などでの工夫は全社で共有しました。役員全員を対象にした研修も開き、「これからの時代に必ず必要になる」と理解を求めました。「ウェルビーイング(心身と社会の幸福・健康)」が経営のキーワードとなる前でしたが、結果的に先取りしていたかもしれません。
この頃から会社の枠を超えて人事部門の社員がつながりをつくったり、ノウハウを共有したりする活動にも参加するようになりました。若手社員が数年で辞め、仕事とのミスマッチで悩む問題などは、会社や業種を問いません。仕事と治療の両立もそうです。事例を共有し、協力して解決策を探しています。
人事の社員は社内で孤独なんです。プライバシーを扱うため、同期同士でも話せない悩みが多く、むしろ他社の人事の人のほうが話が合う面があります。人間が好きな人が多く、価値観が似ているんです。会社が別でも仲良くなりやすく、カルビーに転職するときはライバル会社の人らが「カード業界からの送別会」を開いてくれたほどです。

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