https://www.nikkei.com/article/DGKKZO61032170T20C22A5TCR000/
グローバル化(グローバリゼーション)の真の起点をどこに求めるか。大航海時代が幕を開けた15世紀末、産業資本主義が勢いを増した19世紀半ば、米ソの冷戦が終結した1989年……。答えは識者によって様々である。
自著で大胆な説を世に問うたのは、歴史家のバレリー・ハンセン氏だ。北欧のバイキングや中国、インド、中東などの諸民族が陸海の交易路を開拓し、世界の結びつきを深めた「西暦1000年ごろ」にまでさかのぼる。
グローバル化の概念自体は、1929年のベルギーで生まれたといわれる。経済学者マルク・レビンソン氏の著書によれば、幼児が広い世界に関心を持つようになることを意味していた。
グローバル化が浮き沈みを繰り返すさまを、経済学者のパンカジ・ゲマワット氏は「ヨーヨー」に例えた。疫病や戦争でいったん巻き戻された後には、必ず伸びる力が働く。楽観論と悲観論のどちらに振れすぎるのも危うい。
グローバル化の伸びしろはなお大きい。世界全体でみると、モノとサービスの輸出額は総生産の19%、海外直接投資は総固定資本形成(官民の総投資)の5%、移民は総人口の4%にとどまる。いまだ「セミ・グローバリゼーション」の域を出ないと、ゲマワット氏が評するゆえんである。
先のレビンソン氏は、19世紀以降のグローバル化の波を4つに分類した。モノの移動を特徴とする第3段階(1980年代後半~2010年代初頭)で本格的な潮流となり、アイデアやサービス、ヒトの移動を中心とする第4段階への進化が始まったとみる。
コロナ禍とウクライナ危機で多少の揺り戻しがあっても、根本的な力学は変わりそうにない。その現実を受け入れ、賢く適応する術を考えるべきではないか。
もちろんグローバル化の弊害や限界は直視しなければならない。富の偏在や温暖化の進行といった課題に対応するため、市場の機能に委ねるだけでなく、国家の介入を要する場面も増えよう。
相互依存の深まりが民主化の促進や紛争の抑止に資するという期待も、いまや失望に変わりつつある。安全保障のリスクに目をつぶり、経済活動の効率だけを追求できる時代ではなくなった。
包摂的で多様性に富み、環境に優しく、巧みに制御されたグローバル化への移行――。政治学者のローランド・ベネディクター氏を含む多くの識者が訴えるのは、時代の要請にうまく応える「リ・グローバリゼーション(グローバル化の再設計)」である。
日本もグローバル化の新たな波に備えるべきだ。「ヨーヨー」は予想以上に強く、速く伸びるかもしれない。いまは経済より安保の論理が勝りがちだが、成長の糧を世界に求める企業や個人の手足を縛りすぎるのでは困る。
中ロと対峙しつつ、国際企業の競争力を保つ米国。ハイテク産業を武器に、1人当たりの国内総生産(GDP)で日本に迫る韓国や台湾……。「縮み癖」がついた日本だけが出遅れぬようにしたい。

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