https://www.nikkei.com/article/DGKKZO61016720S2A520C2TLD000/
明確なパーパスを持って走り始めている人もいれば、まだ探し続けている人もいる。何が彼らを突き動かすのか。何もしなければ出会うことがなかった人たちをつなぐ橋をかけ、新しい価値を生みだそうとする人の姿を描く。
ロボットは飲み物を運び、客と身ぶり手ぶりでコミュニケーションする。自動で動いているわけではない。操作するのは病気や障害で遠出が難しい人たち。自宅のパソコンからインターネットを通じて動かし、ロボットのカメラやマイク、スピーカーで会話する。
ロボットを開発し、カフェを運営するオリィ研究所(東京・中央)。代表の吉藤健太朗さん(34)は病気や障害で外出しづらい人が寂しさを感じない世界を描く。すべての人の「孤独の解消」を目指す。
孤独な過去がはじまりだった。吉藤さんは小学校5年生からの3年半、不登校だった。「自分は誰からも必要とされていない」と強い孤独を感じた。
中学校2年の時、母親が応募したロボットのプログラミング大会に参加した。そこで工業高校の教員の久保田憲司さんと出会った。久保田さんが作った一輪車に乗るロボットに感銘を受けた。「先生のところで学びたい」と思った。
久保田さんが勤める工業高校に入り、ものづくりにのめり込んだ。人付き合いへの苦手意識は消えなかった。「人から必要とされないのなら、ロボットを友達にすればいい」。高専で人工知能(AI)ロボットの開発をしたが、AIが人を癒やすより、人と人がつながる未来をつくりたいと思った。
吉藤さんは2010年、分身ロボットを開発し、「オリヒメ」と名付けた。遠く離れた人に会いたいと願う思いを込めた。
1人でオリィ研究所を設立し、メーカーにアイデアを売り込みに回った。理解を示す企業は少なかった。そんな時、秘書の番田雄太さんが「カフェを開けば、ベッドにいても接客できる」と提案した。
番田さんは子どもの頃に交通事故に遭った。長い入院生活を続けており、「自分の分身として動くロボットを作ってほしい」と吉藤さんに頼んでいた。番田さんは17年に亡くなるが、その言葉が吉藤さんにカフェ開業を決意させた。
開業から間もなく1年、自宅や病院などから70人が交代でオリヒメを操作する。1050円以上の時給も得る。その一人、松島尚樹さん(52)は17年、重症心不全を発症した。子ども2人を抱える営業マンだった。
そんなとき、同じような病の女性が吉藤さんのカフェで働き始めたことを知った。女性はSNS(交流サイト)で病気の苦しさを投稿していたが、前向きな内容に変わった。「こんな仕事があるなら自分も携わりたい」。踏み出した一歩を家族は喜んでくれた。
カフェには近隣に住む人などが訪れる。ニュースなどでカフェを知り、遠方から来る人もいる。
絵本の読み聞かせ活動をする降幡浩康さんも、オリヒメの向こう側にいる人との出会いを楽しむ。「病気や障がいに関係なく働ける環境とは、どんな世界なのか」。興味を持ってオリィ研究所の試験店を訪れた18年から通う。
降幡さんは幼い頃、近所にALS(筋萎縮性側索硬化症)を患う女性がいた。「病気になれば面倒をみてもらう人になる」。その考えは大きく変わった。「誰もが安心して過ごすことができる空気が、自然な会話を生んでいる」
オリヒメは「モスバーガー」などの飲食チェーンや美術館にも導入され始めている。人手不足の中で事業的な可能性も広がる。吉藤さんは「誰もが年をとれば外出が難しくなる。働き続け、社会とつながり続けられる環境をつくりたい」と話す。自宅から週5日ほど、オリヒメを操作する。昔は病気のことばかり考えていたが、季節の変化が気になるようになった。「注文を取る間に来店客とどんな話をしよう」と考え、話題を探すうちに目が行くようになった。


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