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日本の「脱マスク」どう実現? 経済学で考える カギは「データ」と「著名人」

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD126CN0S2A510C2000000

 

ゲーム理論や行動経済学の専門家に聞いた。

 

「みんなが外す」状態、移行難しく

「同調圧力が強い日本では『みんなが着けている』から『みんなが外す』状態に移るのが難しい」。慶応大学でマーケットデザインを研究する栗野盛光教授はこう指摘する。日本の現状は、経済学のゲーム理論で「2つのナッシュ均衡が存在する状態」として説明できるという。

自分だけがマスクを外すことは風当たりが強く、失うものが多い。他人がマスクを外しているのに自分だけマスクを着けても意味がない。こうした「自分だけが行動を変えても得しない状況」がナッシュ均衡だ。

新型コロナ拡大期は「みんながマスクを着けている」状態が最適となって均衡した。それとは別に「みんながマスクを外している」状態での均衡もある。ゲーム理論では2つの均衡の間の移行が困難とされ、これが今の日本に当てはまる。

確かに皆がマスクをしている状況で自分だけ外すのは勇気が要るし、できるならみんな一斉に外したいという感覚に合う話だ。2年前、新たな感染症の流行という危機感から多くの人がマスクを着用するようになった。元に戻るには相応に強いきっかけが必要になる。

「裏切り者」避ける心理も

同調圧力には別の捉え方もある。南山大学で行動経済学を研究する小林佳世子准教授は「そもそもヒトは社会規範を破る裏切り者になりたくない生き物だ」と話す。進化の過程で集団を形成してきた人間は、ルールを破れば集団からつまみ出され、生き残ることができない。

その上で、人間の選択は「『どちらが得か』より、『どちらのエラー(間違い)が深刻か』という軸で下されることが多い」と説明する。

行動経済学では「エラー管理理論」と呼ばれる考え方で、マスクの場合、外したことによるエラーが大きいと人々は捉えているという。つまりは「集団の裏切り者とみなされるエラーは犯したくないという心理が働いている」と小林氏は指摘する。

法的義務ない日本、緩和に工夫必要

日本の場合、欧米や韓国などと違いマスク着用に法的義務は設けていない分、ルールの緩和が難しいことも厄介だ。法改正などの正式な手続きを経ずに「みんながマスクを外す」状態を作る知恵がいる。

慶大の栗野氏は「まずはデータを科学的に示すことだ」と語る。今の状況はマスクを「する」「しない」のどちらが望ましいかが明らかになっていないと栗野氏は見る。

マスクには個人や社会がコロナ感染を予防できるメリットはあるが、熱中症の誘発など身体への負担というデメリットもある。マスクを外せば感染を増やす恐れがある一方で、子どもの発達への悪影響を取り除けるメリットもある。ウイルスの毒性やワクチン接種率の向上、治療薬の開発状況によっても評価は変化する。

栗野氏は「もし『みんながマスクを外す』状態がデータで望ましいとなれば、人々の行動変容は進むだろう」と語る。

インフルエンサーに期待も

もう一つ、経済学者が口をそろえるのがメッセージの重要性だ。マスクを外すメリットがデータで示されても、いったん確立した習慣や同調圧力を覆すのは容易ではない。そんなとき著名人や専門家が「マスクを外してもよい」とのメッセージを発することで人々の行動を変える。

誰がどんなメッセージを発すればよいか。10~12日にかけて首相や松野博一官房長官、東京都医師会長、国立感染症研究所長らが相次いで「人との距離がとれれば屋外ではマスクを外してよい」とのメッセージを発した。慶大の栗野氏は「根拠となるデータを示せばなお良かった」と注文をつける。

インターネット上などで影響力のある「インフルエンサー」に期待する向きもある。ただし民間の著名人が単独でマスクについて呼びかけるのは、社会的な評判を損なうリスクを伴う。

慶大でメカニズムデザインを研究する坂井豊貴教授は「政治家と有力なインフルエンサーがコラボし、『マスクを外そう』と呼びかけるのが適切だろう」と話す。

「脱マスク」がいつ実現するのかは、まだ見通せない。もしマスクなしで暮らせるようになれば、身近な「ウィズコロナ」の象徴になる。そのためには科学的知見に基づく議論に加え、メッセージの発し方にも工夫がいる。