https://www.nikkei.com/article/DGKKZO60611080Q2A510C2BE0P00/
81年にソロ歌手としてデビューし、ポータブル・ロックというバンドでも活動した。世間の注目を集めるのは小西康陽率いるピチカート・ファイヴに加入した90年以降のことだ。
「渋谷系の女王」。90年代半ばには、そう呼ばれていた。ピチカートはオリジナル・ラヴや小沢健二、カヒミ・カリィらと並ぶ「渋谷系」の代表だった。
「私はずっとニューウエーブ、あるいはオルタナティブ(もう一つの新しい選択肢)であり続けてきたと自覚しています」と語る。
「演奏のテクニックや歌唱力の高さではなく、センスとアイデアで勝負するのがニューウエーブの魅力だと思っています」
人と違う楽しみ
中森明菜や小泉今日子といった同じころにデビューした女性歌手の中で、野宮は明らかにオルタナティブだった。90年代半ばも小室哲哉や安室奈美恵らが主流で、ピチカートはやはりオルタナティブだった。
「いかに人と違うことをするか。自分が見つけた楽しみを追求するか。私はそういうニューウエーブ的な在り方が好きなんですよ」
日本のポップスの行方はどうなるのか。「90年代のポップスが再評価されると期待しています」と語る。
言葉には自身の実感がこもっている。「80年代のシティポップは外国に対する強い憧れの投影であり、日本人の夢の世界だったと思います。しかし90年代半ばには様相が変わりました」
「バブルは崩壊していましたが、東京が世界で最もクールな都市で、東京発の音楽やファッション、デザインが最高に格好良かった。実際にピチカートの音楽はパリコレで流れ、欧米のCMにも使われましたし、世界ツアーで歌っていても確かな手応えを感じたのです。90年代が再評価されるといいな」と笑った。「渋谷系は音楽のジャンルの呼称ではありません。過去の隠れた名曲を掘り起こし、自分たちの音として再構築して発表する。そんな志向を持つ表現者が渋谷系と呼ばれていました」
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