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私の住まい(5)拠点ない「遊動生活」の時代 総合地球環境学研究所長 山極寿一氏 「地縁・血縁・社縁」薄れ絆探る

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO60608350Z00C22A5CT0000/

 

住居の機能にも着目してきた山極所長に今後の展望などを聞いた。

――コロナ下で引っ越したり、複数の拠点を持ったりする人が増えました。

「根本的な理由は、明治時代から150年くらいたち、みんな故郷を持たなくなったことだと思う。明治政府による富国強兵政策で、家族は子どもたちを都会に出した。そのころは故郷を持っていて、仕送りしたり、盆正月に帰ったりしていた。そこから4世代目、5世代目となって、たとえば曽祖父が青森から東京に出てきていたとしても、青森は自分のふるさとではない」

「とりわけ都会に住んでいる人たちはアイデンティティーがなく、どこに住んでも同じ。だったら住みやすい場所を選んでいこうか、という選択肢が出てくる」

――家族以外とのつながりが減ったのも一因でしょうか。

「これまで人々をつなぎ留めていた『縁』は3つあった。まずは地縁、つまりふるさと。次に血縁、これも少子化などでなくなりかけている。結婚式もしない、葬式もしないというのがコロナで加速し、血縁の絆が薄れた」

「もう一つは『社縁』。これまでは会社が生活保障をするたてつけで、終身雇用・年功序列・新卒一括採用が当たり前だった。ただ非正規雇用が約4割となり会社に献身しようという若者も減った。社縁がなくなり、新たな縁を求め始めている」

――人との「いい距離感」を探る動きもあります。

「人間社会は『動く自由』『集まる自由』『語る自由』でできている。それが、コロナ下で動く自由が制限された。家族だけでなく、シェアハウスなどでも、それぞれの自由な動きを尊重してきたことで一緒に居られたが、自由のバランスが崩れてしまった」

「遊動生活を送るゴリラは、体の大きさが違う雄と雌がそれぞれ自分のペースで食べ歩き、子どもたちは周りを跳びはねながら動く。それぞれの自由な動きを担保することで、大きな単位ではまとまっていられる」

――今後の住まいの形はどうなっていくでしょうか。

「最近は『遊動の時代』になった。この1万年間、農耕牧畜が始まって以来、人々は定住をめざしてきたが、IT環境や集配システムの発達により移動しやすくなった。定住していなければ、モノをためることもない。遊動の時代というのは所有物がなくなる時代でもある」

――山極所長にとって「家」とは。

「私も東京都国立市という新興都市で育ち、ふるさとを持たない人間のひとりだが、世界中に自分のふるさとと言える場所はある。屋久島(鹿児島県)やアフリカのガボンとコンゴ民主共和国には古い仲間がいる。そこに行けば、友人たちとすぐに元の付き合いに戻ることができる。京都も含めて家は持っていないが、自分の居場所があるという意味で家みたいなものだ」

――家を買おうと思ったことはありますか。

「マンションも含めて買ったことは一度もない。一時しのぎでいいと思っていた。それよりも新しい世界に飛んでみたいという気持ちが強かった。だから『複数居住制』をとっている。1カ所に住んでいても仲間は増えない。それよりも、複数の場所に小さな仲間を持っている方が、自分の幅を広げられると思う」