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[FT]米ピアノ、スタインウェイ上場へ 中国市場に照準

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB2027C0Q2A420C2000000

 

大人になったポールソン氏はピアノの演奏家ではなくヘッジファンドの大物になり、世界金融危機の際にはサブプライム住宅ローン担保証券の空売りで巨万の富を手にした。だが同氏はその財産でスタインウェイのピアノを3台も購入できたばかりか、2013年には米国で最も由緒ある楽器メーカーそのものを買収した。

米投資ファンドのコールバーグ・アンド・カンパニーや韓国の三益楽器(サミック)の買収提案を上回る総額5億1200万ドル(約500億円=当時)での買収だった。それから9年後の先週14日、ポールソン氏は創業169年の老舗をニューヨーク証券取引所(NYSE)に再上場させる計画を発表した。保有する株式の一部を手放すものの、議決権の過半数は維持する。

1853年にドイツ移民のヘンリー・エンゲルハード・スタインウェイがニューヨーク市の屋根裏で創業したスタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツ・ホールディングスについて、ポールソン氏は「世界有数の高級ブランド」「消費者需要が成長する中国での類まれなプレーヤー」そして「技術のイノベーター」になったと形容する。

ポールソン氏は米ゴールドマン・サックスが共同主幹事を務める新規株式公開(IPO)で見込まれる時価総額を明らかにしていない。だがスタインウェイは14日に米証券取引委員会(SEC)に提出した目論見書で、世界の高級品市場が年6.4%ずつ成長し、26年には1兆3000億ドル(約167兆円)規模に達するという英調査会社ユーロモニターの予測を引用した上で、同社を高級品市場を代表する企業だと位置付けている。

中国は世界最大のピアノ市場

同社は、中国で裁量支出が急増していることが高級品市場を成長させる最大の原動力になっていると指摘する。英不動産大手ナイト・フランクは、中国では3000万ドル以上の資産を持つ人口が5年間で145%増加したと推定している。

スタインウェイの目論見書にもある通り、中国のピアノ市場はすでに世界最大であり、日常的にピアノを弾く人の数が4000万人いる中で年に約40万台のピアノが売れている。これに対して米国のピアノ演奏人口は600万人で年間の販売台数は3万台だ。

中国政府がクラシック音楽の演奏会場の新設に投資していることもあって、中国ではスタインウェイのピアノを保有するコンサートホールが過去10年で11カ所から134カ所まで増えた。だが今のところ、同社のグランドピアノの中国での販売台数は米国の半分にとどまっている。

すでにスタインウェイはポールソン氏の下で状況の改善に乗り出しており、ラン・ラン氏をはじめとする中国の著名なコンサートピアニストとの提携や、中国の複数の都市でショールームを開設するなどの手を打っている。だが同社は、中国でさらなる成長への見込みを後押しする「数々の追い風」が吹いているという認識を投資家に示した。

同社は現在もニューヨーク市のアストリアとドイツのハンブルクにある工場で、グランドピアノを1台につき6カ月以上かけて手作業で製作している。だがポールソン氏は、そうした伝統と技術投資との調和を模索してきた。

ポールソン氏の下で収益拡大

スタインウェイは13年以降で設備投資額を3倍に増加させており、その間に通常の生演奏もできる自動演奏ピアノ「SPIRIO(スピリオ)」を開発・発売した。スピリオの自動演奏について同社は「偉大なピアニストたちの名演に宿るパワー、微細なニュアンス、情熱」が再現できるとうたっている。

高価格帯のスピリオは今や同社のピアノ販売台数の約3分の1を占める。グレン・グールドからビリー・アイリッシュまで様々なアーティストによる演奏が収録されたスピリオは、ピアノを弾かない人にまで大きく顧客層を広げていると同社は強調する。

需要の拡大と限られた生産能力により、スタインウェイのピアノは過去5年間で平均販売価格が48%上昇している。同社のグランドピアノは6万〜34万ドル前後で販売されているが、16年には限定モデルが1台240万ドルで売れた例もある。

売上高や利益も伸びた。ポールソン氏に買収される前年の12年は、同社の売上高は3億5400万ドル、純利益は1350万ドルだった。21年は売上高が5億3800万ドル、純利益が5900万ドルまたは調整後ベースで7100万ドルに増えた。負債額も過去5年で3億1200万ドルから5100万ドルまで減らしている。

スタインウェイは1972年まで同族経営を続けた。96年に最初の上場を果たしたときのティッカーシンボル(日本の証券コードに相当)はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンにちなむ「LVB」だった。同社はニューヨーク証券取引所(NYSE)に再上場する際にティッカーシンボルとして「STWY」を使う予定だ。

ポールソン氏に大きな議決権

13年当時、スタインウェイの買収額はポールソン氏の資産に対してわずかな割合にすぎなかった。同氏はサブプライム住宅ローン担保証券の空売りで利益を上げた後、09年には相場の底値付近での強気の株式投資でも成功を収めた。米経済誌フォーブスによれば同氏の純資産は110億ドルに達し、ウォール街でトップ10に入る富豪投資家に上り詰めた。

しかし、金融市場の急騰が続いたこの10年で株式市場、特に製薬やエネルギー銘柄で実際とは逆方向の値動きを予想した投資がたたり、ポールソン氏は何十億ドルもの資産を失った。

機関投資家に資産を引き上げられた同氏のファンド、ポールソン・アンド・カンパニーは、大勢のトレーダーやアナリストを解雇し、今から2年前には個人資産のみを運用する「ファミリーオフィス」に転換した。

フォーブスの推計によれば、スタインウェイの買収以降、米国株は2倍以上に上昇したにもかかわらず、ポールソン氏の純資産は40億ドルまで減っている。SECへの提出書類によれば、もし上場によりスタインウェイの時価総額が10億ドルを超えれば、同氏にとって最大の株式投資先となる。同氏の持つスタインウェイ株は「ポールソン・ピアニッシモ」という会社を通じて保有され、普通株の10倍の議決権が付与されている。

買収には他にも利点があった。ポールソン・アンド・カンパニーはロックフェラーセンターにあったニューヨーク事務所を引き払うと、すぐ近くにあるスタインウェイのオフィスにより控えめなスペースを見つけ、同社に年200万ドルの賃料を払って入居している。

何よりも、ポールソン氏は子どもの頃の家族では決して持てなかったスタインウェイのコレクションを増やすことができている。通常なら年1万4000ドルのレンタル料がかかるピアノ1台を同社から無料で借りているのだ。