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頑張りすぎなくていいよ 20代で燃え尽き、助言役に

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO60076340X10C22A4CM0000/

 

「できなくてもいいんだと自分に言い聞かせてあげよう」。どん底からなんとか持ち直した今、同じ境遇に陥りそうな人にそう伝えている。

箱入り娘だったと自分では思う。大阪に生まれ、医療関係者や公務員の親族が多かった。母親は「勉強さえしていれば将来は安泰」と繰り返した。

高校で地元の進学校に入るとマーチングバンドに没頭し、学生代表に選抜され海外遠征も果たした。部活の引退後は受験勉強に励み、現役で有力私大に進んだ。

「偏差値が高い学校に行けばいい、安定した職業に就けばいい。思考停止で歩んでいた」。卒業して地銀に就職すると、そのツケが噴出した。

受験の合格とか、部活のレギュラー入りとか、わかりやすい基準を達成するのは得意だった。だが社会に出た瞬間、急に目標がみえなくなった。会社のノルマに応えても、それが社会にどう貢献しているのかわからない。「頑張っているつもりだけど、頑張れてないんかな」と感じた。SNS(交流サイト)をのぞけば、別世界で活躍する人の輝きも焦燥感を駆り立てた。

「やっても無駄やな」。仕事に集中できなくなり、週末だけが生きがいになった。パーティー三昧で夜通し飲み歩き、月曜日を迎えると意識は次の週末に飛んだ。機械的に業務を処理し、外回りと偽って自宅でサボる。その半面、仕事に燃えられない自分も嫌になった。高まる葛藤に体調も崩した。

環境を変えようと始めた転職活動で出会ったリクルートキャリア(現リクルート)の面接官は「なんで受験や部活は頑張れたのか、一緒に考えてみよう」と向き合ってくれた。同社に移り、人材紹介の新規拠点の立ち上げに携わった。求人開拓という数字勝負の仕事に「手触り感があった」。今度はワーカホリックになった。

度々業績を表彰され、25歳で事業のリーダー役を任されるまでになった。誰よりも早く出勤し、終電を逃せば会社に泊まり込んだ。他の社員の2~3倍の成果をたたき出し、目標はその都度高くなった。そんな"無双モード"が長くもつわけはなかった。

転職して2年目の末、ふと「この目標達成ゲーム、いつまで続くんだろう」と感じた。翌朝、ベッドから起き上がれず「会社に行きたくない」との感情が全身を支配した。初めて欠勤した。

それ以降、出社してもほとんど座っているだけになった。遊びの予定もすべてキャンセルし、休日は家で一日中寝ていた。燃え尽きていた。

いつしか、仕事の成果や同僚からの羨望だけが自分の評価軸になっていた。「仕事ができない私を誰が愛してくれるだろうか」と思い込んでいた。

バーンアウトは数週間続いた。立ち直るきっかけは、上司の言葉だった。

「頑張れないありのままの自分を愛することが必要。まずは人間らしい生活を取り戻すことから始めよう」。すぐにはその言葉を消化できなかったが、言われた通りに定時に帰り、人並みの仕事量に抑えてみると、少しずつ気力が戻り始めた。趣味として始めたヨガにハマり、インストラクターの資格までとった。

「すべてのエネルギーを仕事だけに割いていたら、いつの間にか自分の生活をコントロールできなくなった。熱中できることを複数持っていた方が、結果的に仕事も効率化されると身をもって感じた」と振り返る。

いまはキャリア支援サービスを手掛ける「ポジウィル」(東京・港)で、仕事に悩みを抱える人と面談する仕事をしている。「20代前半は燃えたいのに燃えられずモヤモヤしている不完全燃焼の人、20代後半~30代は頑張りすぎて燃え尽きてしまった人が相談に来るケースが多い」。過去の自分と重ね合わせるように、丁寧に相談に乗る。

誰も、燃え尽きない保証はない。「頑張れない自分を愛そう」。特に真面目で責任感が強い人には、上司からもらったこの言葉を贈る。