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光州事件がテーマ
「光州事件を知っていますか? 1980年5月に何があったのか」
知らないのは新入生だけではなかった。「暴徒が反乱を起こしている」「北朝鮮のスパイによる扇動」等々、当時はまだ軍事独裁政権時代のプロパガンダを信じている人々も少なくなかった。韓国政府が光州事件(正式名称は「5.18民主化運動」)の真相究明と再評価に乗り出したのは、93年にスタートした金泳三(キムヨンサム)政権以降である。
2017年に公開された映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」(チャン・フン監督)は、その光州事件を描いた作品だ。民主化から既に30年を経過していたが、映画は歴史の反復を改めて感じさせた。民主主義は放置すれば劣化する。観客の多くが、前年に朴槿恵(パククネ)大統領を退陣に追い込んだ「ろうそく革命」を経験していた。
映画の主演は「パラサイト」でおなじみのソン・ガンホと、「戦場のピアニスト」のトーマス・クレッチマン。2人が演じるタクシー運転手とドイツ人記者は、実在の人物をモデルにしている。彼らは1980年5月も光州を取材し、その悲劇を世界に伝えた。
映画はタクシー運転手が鼻歌交じりでソウル市内を運転しているシーンから始まる。行く手を阻む学生デモ。「親のすねかじりのくせに」「デモをするために大学に行ったのか」、彼はいきなり不機嫌になる。
その時の韓国といえば、前年秋に朴正煕(パクチョンヒ)大統領が暗殺されたことで民主化への機運が高まっていた。金大中(キムデジュン)、金泳三といった後の大統領たちも政治活動を再開。また新学期の大学キャンパスでは連日、全斗煥(チョンドゥファン)ら新軍部の退陣を求める学生デモが行われていた。
しかしタクシー運転手にとって重要なのは日々の暮らしだ。彼が外国人記者を乗せて光州に向かったのも破格の料金につられたから。そんな彼が光州の惨劇を目の前に変わっていく。
2人が光州に入ったのは5月20日、その2日前に大学を封鎖した戒厳軍と学生が衝突していた。学生たちへの暴行に市民が抗議すると、攻撃の矛先はそちらに向けられた。暴力はエスカレートし、負傷者たちが次々に病院に運ばれる。未曽有の事態にもかかわらず、韓国メディアは報道の自由を奪われていた。
「光州のことを伝えると約束してください」
「この映像がいずれ世界中で流れる。もう安心だ」
映画の中で若者とドイツ人記者が交わした言葉が、日本語版の副題となっている。実際には彼以外にも米国や日本の記者たちも現地に潜入し、取材した映像や証言を持ち帰っていた。
そうして海外での批判が高まると、金大中への死刑判決を取り消すなど、軍事政権は対外的なポーズだけ整えた。しかし韓国内では相変わらず、言論統制と民主化運動への弾圧が続いていた。
映画「弁護人」(ヤン・ウソク監督)には、その時代の釜山で起きた「釜林事件」(1981年)が登場する。民主化勢力を弾圧するために、警察は学生たちの読書会を「共産主義者の集まり」とでっち上げて一斉検挙した。事件の弁護人となったのが盧武鉉(ノムヒョン)(後の大統領)であり、映画は釜山時代の彼をモデルにしている。主演に抜擢(ばってき)されたソン・ガンホも同郷であり、その独特の釜山アクセントは、2013年の映画公開時にはすでに故人となっていた元大統領を忍ばせた。
日本の役割大きく
前半は貧困家庭出身の高卒弁護士が、学歴差別を跳ね返しながらお金をガンガン儲(もう)けていく話。後半は政治に無関心だった彼が「釜林事件」を機に、人権弁護士へと変わっていく様が描かれている。
映画で再現された大学生への残酷な拷問シーンは今の韓国からは想像もできないが、独裁政権時代にはそれで命を落としたり廃人になった人々もいた。その1人が1987年1月に拷問で亡くなったソウル大生の朴鍾哲(パクジョンチョル)さん(享年21歳)であり、それに対する国民の怒りが6月抗争、民主化宣言へとつながっていった。
この映画「弁護人」にも海外メディアが登場する。毎日新聞、AP通信、ドイツZDF等。当時はまだ台湾も民主化前であり、アジアで言論の自由が保障されていたのは日本と香港ぐらい。欧米メディアの拠点も東京にあり、日本の役割はとても大きかった。
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