https://www.nikkei.com/article/DGKKZO59827710Y2A400C2MY5000/
彼女の名は津田梅子、言わずと知れた津田塾大学の創始者だ。けれど梅子がふたたび渡米し、生物学の研究で成果をあげていた事実はほとんど知られていない。将来を嘱望されながら、なぜ科学者の道へ進まなかったのか。本書はそんな疑問を携えつつ彼女の軌跡を追い、時代の抱えた矛盾をあきらかにしようとする試みだ。
話を戻そう。自由な空気をめいっぱい吸い込み、志高く育った梅子は、帰国後、失望することになる。彼女たちを留学させた政府の意図はあくまでアメリカの家庭生活の体得で、活躍の場を用意された男子留学生とは違い、日本での受け入れ先もなかった。また良妻賢母主義にもとづく女子教育は、梅子の思い描く教育とは程遠くもあった。
彼女は再度アメリカに渡る。最初の留学時にできなかった大学入学を果たし、教育学を習得するというのが名目だったが、現地でなぜか生物学を専攻する。その大学には最先端の生物学研究があり、著名なモーガン博士に学ぶのだ。優秀な梅子は研究者となるよう提案されるが、悩んだ末に断ってしまう。モーガンは憤慨するが、後にこう述懐することになる――「梅子があのような業績をあげ名声を勝ち得たのは、生物学と完全に縁を切ったからだ」と。
当時の日本に、女性が学者として生きる手段は皆無だった。すなわち女は良き妻、賢き母として男に仕えるもの。そのために必要な教養を身につけるまでが女子の学問で、それ以上の高等教育は健康にも害悪、生殖適齢期にある女性の妊娠・出産の妨げとなり、国力を衰弱させるだけだ……。
あらためて読むとほんとうにひどい。アトウッドのディストピア小説かと思うほどだ。男尊女卑のそんな世のなかで、梅子は先の先を読み、隘路をすり抜けるようにして、有効な一手を指しにいったのだろう。官製ではなく私学の、女子校を作らなければと。彼女の胸中をわたしは想(おも)うし、この国がつい最近まで、こんなひどい理屈を奉っていたという事実は、何度でも何度でも思い出されなければならないと考える。

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