https://www.nikkei.com/article/DGKKZO59828060Y2A400C2MY5000/
歌舞伎役者の妻と、世界で活躍する写真家の秘められた恋――。不倫の実話を実名で描いた林真理子著『奇跡』(講談社)が、刊行1週間で10万部のヒットを飛ばしている。
この2人の関係はこれまで明るみに出ていなかった。物語は33歳の博子さんが、パリ在住で19歳上の写真家、田原桂一さんと京都で偶然、再会するところから始まる。運命に導かれるようにひかれあい、博子さんは歌舞伎役者の妻、そして3歳の息子の母としての重責も果たしながら、田原のもとへ通う。
歌舞伎関係者は仮名だが、調べれば見当が付く。舅(しゅうと)は歌舞伎界を代表する役者の1人だ。横やりを避けるため書き下ろしとし、「2年間、極秘で進めた」と編集を手掛けた文芸第一出版部の斎藤梓副部長は明かす。校閲の人数も絞り、印刷所にはギリギリまで新人の作品と伝えておき、無事刊行にこぎつけた。
事前の宣伝はできなかったが、刊行4日後の2月18日、女性誌「FRaU」(講談社)のサイトに著者による寄稿文が載ると売り上げが爆発的に伸びた。著者と博子さんが子どもの「ママ友」という背景だけでなく、主人公2人の写真も複数枚掲載された。「彼女の美貌とセンスも興味をひいたのだと思う」(同)。記事はニュースサイト「ヤフーニュース」に転載されて拡散し250万ページビューを記録。アマゾンでは一時、在庫が払底した。
読者からの評価は両極端という。鋭い観察眼で人間の本質をえぐる従来の作風と異なり、パリ旅行、箱根の別邸でのデートなど、きらびやかな出来事が事実に基づいて淡々とつづられる。その筆致に「がっかりした」という声や、不倫自体に拒絶反応を示す声がある一方で「こんなにも純粋に人を愛せるなんて」「同じ女性として敬服」など熱のこもった感想が続々と届く。「幅広い世代が感動できる純愛小説で、普段は小説を読まない層にも受容されている。事実に基づいた物語ゆえの強さがある」と斎藤副部長は自信をみせる。歌舞伎界からのクレームに発展していないのも、あくまでテーマが純愛だからとみる。
拡散された著者の寄稿文には「自分とは違う人生をおくる人を叩(たた)く(中略)薄っぺらい風潮に挑戦状を叩きつける」とあり、斎藤副部長は「恋愛小説の名手による『不倫批判』批判が多くの人の心を捉えた」と力を込める。ヒットの裏には大衆の下世話な好奇心だけでなく、息苦しい世の中にあっても自分らしく生き、困難を乗り越えて愛を貫く2人への憧れがあるに違いない。

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