https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD02E6J0S2A200C2000000
調べてみると、大正、明治、江戸と各時代に有力な「原型」がみつかった。その歴史はマイホームを夢見る人々の夢に彩られている。
東京建物、明治に割賦販売
まず「住宅ローンの原型を始めた」と社史に記している企業を見つけた。不動産大手の東京建物だ。明治時代の1896年の同社創業時、「割賦販売方式の不動産売買」を始めたという。最長15年の間に、住宅の元利金を月賦で払い、支払いが完了すると客に住宅の所有権が移る仕組みだった。
厳密にいえば融資である住宅ローンではないが、発想はかなり似通っている。当時は日清戦争後の好景気で、東京建物の割賦販売には多数の申し込みがあったが、信用面などで基準を満たさず契約に至らないことも少なくなかった。数年後には不況に転じたこともあり、リスクのある割賦販売は手控えられたという。
確かに住宅ローンの原型ではあるが、広く持ち家を普及させるまでには至らなかった。住宅史に詳しい神奈川大学建築学部教授の内田青蔵さんは「まだ時期的に早すぎた」とみる。
江戸時代まで都市部では大半の人が借家住まいで、明治になってもまだ住宅の所有は一般的にはなっていなかった。では、今の住宅ローンの形になったのはいつごろなのだろうか。
内田さんは「大正時代に入った1921年の住宅組合法の公布が、持ち家政策の始まりと考えられている」と教えてくれた。同法で、個人が集まってつくった組合に政府が住宅資金を融資する制度が始まった。近代化を進めていく中、都市部の住民に「しっかり働けば家を持てる」という希望を持ってもらうことは、経済政策の上でも重要だったのだろう。
融資という点では今日の住宅ローンへとグッと近づいたイメージだ。関連文献を調べると、貸付額が必ずしも多くなかったり、手続きなどが複雑だったりして利用者は限られていたとの指摘も目についたが、こうした政策などを通じて「個人の住まいにこだわる感覚が少しずつ育まれていったと考えられる」(内田さん)。都市部への人口流入も勢いを増し、将来の値上がりを見込んで資産形成の観点から住宅を購入する動きも出てきた。
その後、戦時下を経て、住宅ローンが普及していったのは、1950年の住宅金融公庫(現・住宅金融支援機構)設立の影響が大きい。終戦後の住宅不足に対応するために生まれた公庫は、廃止された2006年度末までの57年間に1941万戸の住宅に融資した。戦後に建設された全住宅の約3割に上る。
江戸時代は不動産投資で
高度経済成長の中で一般的になっていったという経緯を把握し、納得しかけた直後、思わぬ情報が飛び込んできた。江戸時代にも住宅ローンに近い仕組みがあったというのだ。九州大学経済学研究院准教授の鷲崎俊太郎さんの文献に「購入予定の町屋敷を抵当に入れて必要資金を借用する『持込家質』という制度があった」との記述がある。
早速、鷲崎さんに話を聞くと「融資を受けて土地・家屋を購入し、数年がかりで元利金を払うという意味では『広義の住宅ローン』だったかもしれない」とする一方、「今日的な住宅ローンとは異質な部分も多かった」という答えが返ってきた。
そもそも対象となる町屋敷は一般的な住宅よりもずっと大きい。「狭くても330平方メートル、広いと990平方メートルほどあった」(鷲崎さん)。資金を借りた人は自らが住むことを主目的で買うのではなく、他人に借家や店として貸し、これを原資に元利金を払っていた。今日でいえばローンを活用した不動産投資に近い形式だったようにみえる。
だが、江戸時代に既にこうした仕組みがあったのなら、さらに遡ると別のルーツがまだ眠っているのだろうか。鷲崎さんに疑問をぶつけると「それはないと思う」とのことだった。戦国時代などは家を手に入れてもときの情勢次第では収奪されかねず、住宅の所有権を前提にした融資は成り立たなかったと思われる。
確かに、所有権がいつ脅かされるかわからないような不安定な社会では、借金までして持ち家の購入に踏み切るはずはない。そういう意味では、住宅ローンは平和あってこその仕組みだ。長ければ30年以上も先に完済するローンの契約が成り立つのは、社会が発展したことの一つの象徴といえるかもしれない。
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