https://www.nikkei.com/article/DGKKZO77374930Y1A101C2EN8000
日本の株式バブルが頂点に達したのは1989年末、日経平均株価は3万8915円の史上最高値をつけた。
旧大蔵省が地価高騰を抑制するため金融機関の不動産融資を規制する「総量規制」を導入したのはその3カ月後の90年3月末だった。
株価バブルは90年初めから崩壊し始めたが、なお地価高騰は続いており、マイホームの夢が遠のいた国民の間では「地価を下げろ」という声が根強く、大蔵省は重い腰をあげ直接規制に動いたのだ。
税制面でも地価抑制策は続いた。大口の土地を持つ企業や個人に課税する「地価税」が導入されたのは92年1月。
この時点では地価もすでにピークアウトしていた。
日銀が金融政策を引き締めに転換したのは株価がピークをつけるおよそ半年前の89年5月。
その後株価バブルが崩壊しても引き締めは続き、金融緩和に転じたのは91年7月のことだった。
バブル退治に動いた当時の三重野康日銀総裁は「平成の鬼平」ともてはやされた。
中国は今年に入り銀行の不動産融資への総量規制を導入した。
共産党の独裁体制とはいえ、住宅価格高騰への国民の不満にこたえざるを得なくなったのだろう。
中国は日本のバブル発生と崩壊を詳細に研究しており、同じ轍(てつ)は踏まないという見方もある。
だが、中国が学ぶべき教訓はバブル潰しの手法だけでなく、政府が経済・金融をすべてコントロールできるのかという点ではないか。
バブル期の日本では大蔵省・日銀が金融界に絶大な権力を握っていた。
政治家も対応は大蔵省と日銀に任せておけば大丈夫とたかをくくっていたがそうはいかなかった。
果たして中国は共産党の統制で経済を思いのままに操れるのだろうか。
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