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西川口・池袋VS横浜 新旧チャイナタウンを歩く

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD092S30Z00C21A9000000

埼玉県にチャイナタウン

 

JR京浜東北線の西川口駅を降りると、閑散とした通りに「鴻運楼」や「炭火蛙鍋」といった中華料理店が点在している。

 

西川口に中国人が集まりだしたのは、違法風俗の一斉摘発後に空き店舗が増え、賃料の安さが呼び水となったからだ。

 

不動産賃貸業を営み、食べ歩き団体「西川口パンダプロジェクト」を運営する中村貴広さんは「日本人が入りにくくても中国の人は賃料が安ければ気にしない」と話す。

 

チャイナタウン化する池袋駅北側

 

西川口に似ているのが池袋駅の北側だ。

 

この界隈(かいわい)を「池袋チャイナタウン」と命名した立正大学の山下清海教授によると、新たな中華街をつくったのは中国の改革開放後に海外に渡った新華僑と呼ばれる人々。

第一世代がバブル景気の1980年代後半以降にこぞって来日した。「中国にいてもチャンスがない」という人々は「日本や海外に再出発の夢をかける」と山下氏。

中国が豊かになると「一人っ子世代」が留学生として来日し、卒業後はそのまま国内で働く人も珍しくない。

 

京都大学大学院を卒業し、外資系コンサルティング企業で働く李少岩さん(28)は東京の湾岸エリアにマンションを購入した。

「上海や北京では高すぎて無理。日本は割安」という。中華食材の配達サービスもあり不自由はないが「近所の中国人との付き合いはない」と帰属意識は薄い。

日本人とともにつくった横浜中華街

横浜中華街は世界のその他のチャイナタウンとは違う。日本人と中華系の人が共につくった街で、来街客の95%は日本人。

中華街は1859年の横浜開港を機に西洋人の通訳や貿易の仲介を担うため、主に広東出身の中国人が集まったのが始まりだ。

もともと日本人も生活しており、日本と中華文化が混在していた。さらに1972年の日中国交正常化で"中国ブーム"が巻き起こり、日本人観光客が中華街を訪れるようになった。

革命を支えた神保町

戦前、都内にも中国人が多く暮らす場所があった。神田神保町だ。19世紀末~20世紀初頭、近代化を学ぶために中国から学生が押し寄せた。

辛亥革命を挟み2つの留学ブームがあり、1909年ごろには約1万人がいたとされる。

中国の首相をつとめた周恩来も1917年に留学生として来日した。神保町の中華料理店、漢陽楼には貧乏学生の周恩来が食べたという故郷の肉団子スープ「獅子頭」が今も伝わる。

海外でも増える新華僑のチャイナタウン

欧米からアフリカまで、世界中で新華僑のチャイナタウンが拡大している。

南アフリカのヨハネスブルクにある新華僑のチャイナタウンは、市内中心部の台湾系チャイナタウンから離れた郊外にある。

中国人同士で商売の競争が激しくなるとチャンスを求めて新天地に挑戦する。

欧州にはイギリスやフランス、オランダに古いチャイナタウンがあるが「空白地帯だったイタリアに新華僑が目をつけ、中国から輸入した繊維をイタリアで加工して"メード・イン・イタリー"に仕上げるビジネスを展開した。
その後は手薄なスペインなどへと拡散していった。